2012年04月13日

京都1200年の旅  古都を彩る桜伝説

その色は春の喜び、鮮やかに染められ色づいて行くいにしえの都。時を越え多くの人々を魅了してやまない京都の桜。この街に咲く桜は訪れる人を引き付ける理由、それは美しさだけではありません。例えば幾世紀を越えて今に伝わるある出来事に所縁のある桜。例えば歴史上のある人物も愛したと言う桜。例えば淡い色どりの影に人々のある思いがこめられた桜。古都の桜は美しさと供にさまざまな物語を秘めているのです。

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平安時代から続く桜の名所平野神社。

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花の盛りの季節を前に一足早く盛りを見せていたのが、早春に可愛らしい花をつける桃桜。平野神社の中で最も早く開花する種類の一つ、春の訪れを知らせてくれます。

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境内には沢山の桜の木々が。奈良時代、平城京で祀られていた神々が平安京への遷都と供に今の場所に移されたと言う由緒ある平野神社。目を惹くのがその本殿。尖った屋根を持つ四つの社殿、それが二つづつ繋がれ、左右対称に置かれた平野造りと呼ばれる独特なもの。

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京の街に花の季節を知らせる魁桜(さきがけざくら)。

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ここ平野神社は種類豊富な桜が咲く名所として知られています。盛りの時期に美しい花を咲かせて目を楽しませてくれるのは50種類、400本もの様々な桜達。その姿は多くの人々を魅了し続けます。この場所を桜の名所にした人物、それが平安時代の中頃、文学や芸術に優れた才能を持っていたと言う花山天皇。桜の儚い美しさを愛した花山天皇は境内に数千本の桜の木を植えたのだとか。その中には珍しい種類の桜も、平野妹背桜。妹背とは中の良い男女の事。一つの花より沿う様に二つも実を付ける桜。

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白雲桜、その名の通り青空に浮かぶ雲の様な白い花。薄紅色の蕾が満開になると真っ白に。

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さらに華やかな色と形があたかも蝶が飛んでいる様に見える胡蝶桜。

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白いおおきな花が可憐な芝山桜。

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下向に小さい花を咲かせる朱雀桜。

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この神社のほとんどの桜に共通するのが、お公家さん達が花見をする時には御座敷に座ってしたので、背の低い事。時代を越えて変わらない平安貴族達の桜への思い、華やかな春を満喫する姿が浮かんで来そうです。

目にも楽しい桜はこんな形でも味わえます。祝い事などに使われる開運桜、祈祷した桜の花びらを塩漬けにしたもの、お湯を注ぐとほのかに甘い香りが広がります。古の人々もこうしてゆるやかな春の時を過ごしたのでしょうか。

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平野神社には他にも桜に所縁の品々が、花の名所ならではのお守りやおみくじ。寄り添って二つの実を付ける平野の妹背桜をかたどったお守りは縁結びに。

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そして仄かな桜の香りが漂うお守り、好きな願いを書き持ち歩けばその願いが叶うとか。

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桜の花を抱え、おみくじを尻尾に挟んだ栗鼠も。
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桜を愛でる、日本古来の特別な楽しみに出会える場所。平安時代に貴族達の楽しみとして始まった桜の花見。その頃様々な歌に詠まれた花は桜だったのです。それは今に知られている百人一首の中にも残されています。

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高貴な人々の楽しみであった花見が様々な身分へと広がったのは江戸時代の半ばごろだと言われています。桜の下に集い花を愛でながらお酒や食事を楽しむ。それが今に続く花見の原形となったのです。

そんな当時の花見の名残を感じる事が出来るのが老舗のお麩の専門店。集めた様々なお弁当箱を展示しています。

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花見に用いられたと言うお弁当箱。表面にピンク色の桜の花が施された物。

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そして煌びやかな装飾で仕上げられて物。

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どちらも花見を楽しむ為に用意されたのです。さらに船の上に設けられた花見の席にちなんで作られたと言う、趣向を凝らしたユニークな物。

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様々なお弁当箱で花見を楽しんだ人々、その賑やかな様子が伝わって来ます。


歴史ある寺に残された桜にまつわる物語。古くから織物の街として知られる西陣。この地名は応仁の乱の時、西軍の陣地であった事に由来します。そんな此の地に立つ寺には珍しい桜があるとか。雨宝院、街の中に静かに佇む風情ある寺。平安時代に弘法大師によって創建されたと言う、歴史ある寺です。

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応仁の乱によって荒れ果てた此の地に再び建てられられた雨宝院、しかし江戸時代さらに火災にみまわれました。そんな悲しい歴史を二度と繰り返さない様に此のお堂は変わった造りになっているのです。厚い土壁と厳重な扉で守られたお堂。その奥には大切に仏たちが祭られているのです。此方に祭られているのが千手観世音菩薩立像(重要文化財)。

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平安時代に作られたほぼその儘の姿で残っている2メートルを越える大きな木造。ふっくらとした優しい顔立ちで見つめています。42本あったと言う手はその多くが失われ、今10本が残っているのみ。その手で人々の心を救い、その目で寺の歴史を見守り続けて来たのです。桜の季節、雨宝院の境内を華やかに彩るのは歓喜桜と呼ばれる八重桜。

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そして普段観る事の少ない珍しい桜が。御衣黄という名を持つ、こちらも八重桜の一つ。葉の様に見える部分は実は花弁。花が開いた後には淡い黄色となり、さらに紅色へと変化していくのだそう。訪れた人を驚かせる美しい桜。

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そして西陣には一つの人々を惹きつける桜があります。大報恩寺、通称千本釈迦堂。

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国宝となっているその本堂は鎌倉時代に建てられた物。度重なる戦火や火災を奇跡的に逃れ、京都市の中心部で最も古い木造の建築物だとか。

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柱に刻まれた生なましい傷跡その一つ一つが戦いの歴史を物語ります。この千本釈迦堂にあるのはそんな争いとは正反対の美しい物語がこめられた桜。長くその枝を伸ばす見事な枝垂れ桜。実は別の名前で呼ばれているのです。

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この本堂を建てたと言われるのが阿亀の夫、夫はその仕事中、四本の柱の内一本だけ誤って短く切ってしまいます。夫の重大な失敗を救おうと考えた阿亀は天井と柱を繋ぐ木材、ますぐみで短くなった柱を補う様に助言。その機転によって上手く切り抜けたものの阿亀は失敗が世に出る事を恐れ、自ら命を絶ってしまうのです。ますぐみを持って座る女性の象はそんな阿亀伝説を伝えるもの。

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本堂の前に咲く枝垂れ桜に阿亀の姿を重ね合わせる様になった人々はいっしかこの桜を阿亀桜と呼ぶ様になりました。阿亀夫婦の悲しい物語を今に伝える美しい桜、そんな千本釈迦堂には創建当時から歴史を伝える貴重な品々が数々収められています。応仁の乱を乗り越えた此の寺に残る時代を経てなお存在感を誇る仏像たち。真ん中に丸い穴の開いた一対の工芸品は太古の縁の部分のだ太鼓縁と言われる物。高さおよそ7メートル、細やかな装飾が施された室町時代の作品。

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そのだ太鼓縁に挟まれた一対の仏像が阿弥陀如来。

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そして釈迦如来。

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目じりや口元に知性が漂います。そして運慶と並び鎌倉時代を代表する仏師、快慶の手による木造十大弟子立像。釈迦に従う十人の弟子達を木彫りの像に表現したもの。

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さらに他にも命が宿っている様な仏像の数々。

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六観音立像(重要文化財)

此方は平安時代、学問の神様としてしられる菅原道真が自ら彫ったと言われる千手観音像(重要文化財)、古い梅の木を材料に作ったといわれます。

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そして京都で出会える美しい春に咲く桜だけではありません。桜をこよなく愛した人物として知られる豊臣秀吉、秀吉には桜に纏わるいくつかの物語が残されています。智積院。

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もともと此の地には秀吉が亡き息子を弔い建てた寺がありました。ここ智積院には秀吉がその息子を偲んで造らせた四季を通して楽しめる桜があるとか。空海生誕1200年を記念して昭和に再建された金堂。

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そこに祀られた本尊は密教に於いて宇宙と一体であるとされる大日如来。

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そんな秀吉所縁の桜がある場所へ。広い部屋を囲む絢爛豪華な障壁画。ここにある作品の多くは安土桃山時代に活躍した絵師長谷川等伯の一門によって描かれた物。此方が此の寺で四季を通して咲き誇る、その名も桜図。

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金箔をふんだんに使った背景に描かれた力強い桜の大木。その桜の花びら一枚一枚は絵具を盛り上げる手法で大胆に表現されています。長谷川等伯の息子久蔵の手によるダイナミックな作品。将来を期待した若き息子久蔵の突然の死、その後等伯が描いたのは亡き息子の桜図とは一対になる様な秋の風景の楓図。

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悲しみを乗り越えようとする力強さがこめられた等伯55才の作品。

そして桜図を当時のままに味わうもう一つの楽しみ方が。

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金箔の中に浮き上がる淡い色合いの桜は愛する息子を亡くした秀吉の心を癒したのかもしえません。

こちらも豊臣秀吉の時代に作られた庭園、池と石で変化をつけた山にも四季折々の植物が彩りを添えています。池に面する大書院はそんな庭の景色を眺める場所。見事な庭園と向かい合うのは煌びやかな障壁画、桜図、楓図。かっての大書院にこうして飾られていたと言います。秀吉が慈しんだ庭と供に楽しんだ煌びやかな桜と楓を再現。秀吉所縁の千利休の好みに設えられた庭園。石組と植え込みの配置が奥行きを感じさせます。季節によって違った色合いを持つ味わい深い庭。四季を通じて変わらぬ桜をそんな庭園の風景と供に楽しめる贅沢な空間。

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そして此方はかって方丈殿と呼ばれていた講堂。ここにも一年を通して咲く桜がありました。真っ白な襖に描かれた水墨画の桜。作者は現代を代表する日本画家、田淵俊夫さん。墨の濃淡のみで生き生きとした桜が表現されているのです。

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花弁の部分は何も書かれていない余白にも拘わらず美しい満開の花々が枝に折り重なって咲く様子が立体的に浮かび上がっています。此の水墨画に淡い桜色を感じさせるのは私達の記憶の中にハッキリと残る華やかな桜の風景なのでしょう。


そして豊臣秀吉の時代から歴史を越えて咲き続ける桜を。花の醍醐と言われる桜の名所、醍醐寺。

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秀吉の名に依り和歌山から移築されたと言う金堂。

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そこに祀られている本尊は人々を病から救ってくれると言う薬師如来。

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秀吉によって贅を尽くしもようされた醍醐の花見。宴の為に植えられた桜は700本。およそ1300人が集まった盛大な花見だったと伝えられています。

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江戸の世に庶民の文化として広がった花見は今の時代にももちろん欠かせない季節の楽しみ。境内が桜に彩られる醍醐寺には京都はもちろんいたる所から多くの人々が訪れます。ひときは存在感をあらわす醍醐の枝垂れ桜、やわらかく流れる枝に咲き乱れる花が人々を魅了する圧倒的な美しさ。

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そして豊臣秀吉が此処で花見をもようしたと言う証しも醍醐寺には残されています。醍醐の花見に訪れた人々が歌をしたためた短冊。

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秀吉直筆の短冊。

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境内の隅に立つ若い桜の木。八年前に植えられたその木は現代の科学技術によって受け継がれつつある秀吉の桜。伝説の醍醐の花見の光景が何時しか蘇るかもしれません。

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はかなく消えてしまうからこそ美しい、日本人に備わった感性。桜には私達の心を揺さぶるえも言われぬ魅力があるのです。そんな季節を彩る桜達の時代を越えた魅力を味わう事、それが私達が此処京都で1200年の旅をする理由なのです。






            知られざる物語 京都1200年の旅  引用

















crystaltakara at 17:55│Comments(0)TrackBack(0)

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