ベニジオアークトチスの寄せ植えストックの寄せ植え

2011年12月24日

平泉  よみがえる黄金都市 ~奥州のグローバルシティー 全貌に迫る~ ①

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東北に900年守られて来た宝があります、国宝「中尊寺 金色堂」。今年、世界遺産に登録されました。金色堂は半世紀の間ガラスケースの中で保護されて来ました。ケースの中に今回初めて最新の撮影機材が入りました。映し出されたのは平安時代の想像を超える美の世界。それは地上に現れた極楽浄土。金の孔雀は高さわずか30センチたらず、羽には0.3ミリの細かな線が刻み込まれています。その技を初めてカメラが捉えました。堂内を埋め尽くす貝の煌き。光をうつし七色に変化して行きます。此の金色堂の秘密に最新の技術で迫ります。宝物を辿ると金色堂のある平泉と海外の壮大な海外交易が浮かび上がります。以外な富が中国や北方から東北へ。豊かな財力で平安時代、平泉には東日本最大の都が築かれていました。京都を上回る壮大で華麗な寺院。世界と繋がった黄金都市、平泉。その全貌に迫まります。

国宝「中尊寺 金色堂」は全体はカラスケースで覆われています。中は温度と湿度が管理され、僧侶さえも立ち入る事が厳しく制限されています。今回、撮影の許可がおりたのは金色堂の現状を最新の装置で記録する為です。用意したのは此の特殊なクレーン。伸縮自在のアームの先にハイビジョンカメラをつけ。内部の装飾に一切触れる事無く撮影を行います。

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クレーンカメラが初めて映し出す「金色堂」の内部の絵。正面の須弥壇には11体もの仏。中央にいるのが国宝「阿弥陀如来座像」、極楽浄土の主です。目を僅かに開き、瞑想しています。仏を取り巻くのは黄金の空間、天井も金、そして阿弥陀の頭上を飾る天蓋にも金が施されています。

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天井から下がる網の目の様な装飾。色どりどりの小さなガラスを金の飾りで結んでいます。

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金色堂5.5メートル四方、床一面に金箔が貼られています。黄金の床に堂内の装飾が照り映えます。須弥壇の下の部分、黄金の孔雀がいます。極楽浄土に遊ぶ鳥達です。

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軒も、扉も縁側も全て金を使った世界で唯一の「皆黄金色」の御堂です。金色堂にはもう一つの光が満ちています。螺鈿です。煌く貝殻を漆の地に貼り付けた螺鈿。堂内のあらゆる所に使われていました。一つの建築に此れ程多く使われているのは金色堂だけです。人の目の届かない隅々まで螺鈿が覆い尽くしています。

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金色堂の三つの須弥壇はそれぞれ棺が納められています。奥州 藤原氏三代の棺です。中央の須弥壇には此の金色堂を作った初代藤原清衡。左右に子の基衡と孫の秀衡が眠っています。清衡は何故此の様な煌びやかな御堂を建てたのでしょうか。藤原清衡は平安時代の末、長く戦乱が続いた東北に平和を齎した人物です。東北一帯を支配した藤原氏は源頼朝に滅ぼされるまでおよそ100年繁栄を続けました。その源となったのが金です。平安時代、東北は金の一大産地でした。全国に流通する金はほとんどが東北産だったといわれています。仏教を篤く信仰した清衡が阿弥陀の慈悲を伝える為に建てたのが金色堂でした。極楽浄土の光を放つ”金色堂”、その美しさはどの様にして生まれたのでしょうか。

まず光輝く金の秘密から探ります。金色堂は昭和37年から43年にかけて初めて解体修理を行いました。精密な調査を基に痛みの激しい部材を取り替え、金箔を貼り直す、徹底した復元が行われました。その時取り替えられて装飾の一部が大切に保管されていました。それがこの1センチ程の漆の塊。良く見ると無数の金粉が混ざっています。金色堂創建当初の金。金色堂の柱の螺鈿細工の背景に金粉がまかれています。残された欠片はこうした部分に使われていました。金色堂の金はどの様な特徴があるのか。保管されていた欠片を基に初めて科学的分析がなされます。

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文化財の材料を数多く調査して来た東京芸術大学教授の二宮修治さん、金色堂の金の純度を測ります。工芸品に使われる金は強度を増すごとに銀を混ぜるのが普通です。純度は高くても91~94%程度です。三分後結果が出ました。金色堂の金の純度は実に97%以上でした。これが一般的な四号色の金、金色堂に使われている金は一号色の金です。

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比べてみるとより金色が際立って見えます。金色堂の金は金本来の色と輝きを追い求めたものでした。金色堂に使われた金箔はおよそ六万四千枚、しかもその暑さは現在の金箔の三倍近くもありました。金箔作りにはぼう大な手間が掛かります。最終段階の箔打ちの作業。厚さ100分の1にまで薄くしたした金箔を和紙に重ね挟みます。これをさらに10000分の1にまで薄くのばしていきます。機械を使って丸一日、ようやく完成です。かっては両手でカナズチをふるい叩き続けてました。二人一組で交代しては続けられない力のいる作業。時間は機械の十倍以上、二週間は掛かります。

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膨大な手間と時間を掛けて作られる金箔。金色堂は他に類をみない程贅沢な使い方をしました。それが分かった昭和の大修理で創建時の金箔を調べた時のことでした。修理に関わった中村四郎さん。通常の金箔は箔打ちで丸く伸びた物を四角く切って使います、残りは溶かして再利用します。しかし金色堂では金箔の縁を切らずに其の儘貼り付けました。縁と縁が重なり合う事で独特の模様がうまれます。金色堂の扉です。

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おしげもなく使われた金箔。重なり合う部分が深みを増し、格子模様となって浮かび上がります。黄金の地、東北ならではの金を極めた美です。

金色堂の中でも工芸美術の極致と言われるのが須弥壇の下を飾る孔雀です。高さ26センチ、幅30センチ、銅の板を叩き出し金を施してあります。いったいどんな表現がなされているのでしょうか。

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用意したのが長さ60センチの特殊なレンズ。至近距離で撮影すると画面全体にピントが合い、細部まで鮮明に映し出す事が出来ます。テレビカメラが初めて捉えて黄金の孔雀。超精密の技。尾羽の大きさは3センチ四方、羽毛が柔らかく風に揺らいでいます。

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広げた翼は、重なり合う羽が様々に描き分けられています。孔雀の胴にも驚くほど繊細な技がありました。羽の大きさは僅か8ミリ、そこに幅0.3ミリの線が何十本の刻み込まれています。黄金の孔雀は微かな頬笑みを浮かべているかの様です。調金の人間国宝 桂盛仁さんです。金色堂の孔雀は独特の魅力があると言います。「穏やかな優しさを出す様な気持ちを持って作られている。目が凄く穏やかで優しさがあります」。

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孔雀が持つ優しさ、それはどの様にして生まれたのでしょうか。その謎に迫るのが調金師び小林正雄さん。

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50年のキャリアを持ち、卓越した技術でしられています。小林さんが金色堂の孔雀を再現します。先ず銅板を後ろから打って姿を浮かび上がらせます。さらに表からはたがねを打ち表情を作って行きます。

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しかし、今回撮影した映像を見て小林さんはさらに別の技が加えられている事に気付きました。金色堂の孔雀の羽根、中央の軸は鋭い線で縁取られ、硬くシャープな質感で表されています。小林さんの軸の縁にそってたがねを当て銅板を削り取っていきます、鋤き彫りと呼ばれる技法です。羽の細部の質感も表現する為、手間を惜しまない、小さな技が隠されていたのです。

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次は最も繊細な孔雀の胴の部分。8ミリの幅に20本もの線が刻み込まれています。羽の輪郭に沿って一定のリズムでたがねを打ちこんでいきます。少しでもタイミングがづれると羽毛の線が崩れてしまいます。この胴の部分、羽一枚一枚の配置にも工夫が凝らされてる事に小林さんは驚きました。後ろを振り向いた孔雀、羽は一枚一枚微妙に向きを変えて彫りだされています。しなやかな体にラインが表されています。

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いよいよ表情を決める目に取り掛かります。その表情に小林さんは引きつけられました。金色堂の孔雀の目は大きさ僅か8ミリ、良く見るとその輪郭に沿ってへこみが作られていました。このへこみが瞳や瞼にも見られます。こうする事で、瞳、目、瞼が立体的に見え、孔雀の目が生き生きと輝いて見えたのです。小林さんはまず鋤き彫りで目や瞼の輪郭を削り取っていきます。このへこみにさらにたがねを当て、柔らかな膨らみを形作っていきます。出来上がった孔雀の目。硬い銅板から浮かび上がる命の息吹。ここに金が施され、黄金の孔雀が900んんの時を越えて蘇りました。

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須弥壇の孔雀の回りにも細密な工芸の技を見る事が出来ます。孔雀の尾羽の近くに描かれているの咲き誇るボタン。銀版を打ちだし、さらに金を施した物です。花の上で戯れる蝶。銀版にはよく見ると1ミリにも満たない小さな点が無数に刻まれています。背景に陰影を与える職人の細やかな仕事です。

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金色堂には二本の仏教美術の中でも唯一と言われる表現があります。中央の須弥壇を取り巻く四本の巻柱に見る事が出来ます。仏に従い人々を極楽浄土へと導く菩薩。漆の地に金粉をまいて描く蒔絵で表されています。繊細な表情を見せる菩薩。粘りの強い漆は扱いが難しく、蒔絵で描いているのはここ金色堂だけです。

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さらによく見ると色の違いのあるのが分かります。菩薩の目と髪は黒っぽく。冠などは色が濃く見えます。昭和の大修理に参加し、巻柱の蒔絵を詳しく調べた中里壽克さん。平安時代の蒔絵を約40年以上に渡り研究して来ました。金色堂の菩薩は長い時を経て蒔絵が変色しています。中里さんはそれを創建当初の色彩に復元します。

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まずとりだしたのは蒔絵に最もよく使われつ金粉です。

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そしてこちらが青金、金と銀を混ぜて作った粉です。

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そして銀。

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此の三種類の材料を蒔く場所によって使い分けます。描きたい図柄の部分に漆を塗ります。最初に塗ったのは菩薩の冠です。その上に蒔くのは青金です。冠の図柄が浮かび上がります。

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次に描くのは菩薩の肌。此処は青金より重厚な輝きの金を蒔きます。目や髪の毛など菩薩の肌以外の所には銀を蒔きます。

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再現された菩薩像、金色に輝く顔。それを装身具の青金と髪の毛の銀が引き立てます。光で色彩まで表そうとした金色堂の表現です。

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黄金の御堂金色堂、その空間を最も華麗に彩る装飾があります。虹色に輝く螺鈿です。螺鈿に使われているのが何用で採れた夜光貝。水色、緑色、薄紅色、光を受ける程その色を微妙に変えて行きます。金色堂ではとりわけ大きな貝殻が鏤められています。この螺鈿にも平安の職人達の想像を越えた技とこだわりを見る事が出来ました。

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須弥壇の上を渡る長押には螺鈿による宝相華の模様。宝相華は極楽浄土に咲く花です。

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よく見ると花弁の一枚一枚に細かな線。幅1ミリにもみたない毛彫りです。花弁のひだが立体的に浮かび上がっています。

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毛彫りは意外な所にもあります。蒔柱の裏側幅2センチあまりの宝相華文にも毛彫りが施されていました。

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どんな細部も疎かにしない職人の思いが伝わって来ます。極楽浄土に咲く宝相華の装飾は多くの寺に見られます。国宝 平等院鳳凰堂、ここにも宝相華文が見られます。それは絵具で描かれています。宝相華文はこうした彩色で表されているのがほとんどです。

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金色堂は二万七千個もの螺鈿で宝相華文を表しています。そこには膨大な富と労力が注ぎ込まれています。金色堂の螺鈿は夜光貝です。奄美大島からフィリピンにかけての太平洋岸が主な産地です、本州では採れなかった貴重な貝です。螺鈿をつくるにはまず貝殻を板状に切りだします。高さ30センチの貝でさえ金色堂の様な40センチ四方のおおきなピースは三枚しか取れません。

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さらに夜光貝の加工には大変な手間が掛かります。貝殻は丈夫な為、複雑に細工するには力と時間が必要なのです。金色堂のピースの厚さは2ミリ、現在、普通に使われる物のおよそ10倍です。何故、此れ程の人でと手間を掛けて夜光貝で飾ろうとしたのでしょうか。蒔絵や螺鈿の作家で人間国宝の室瀬和美さん。夜光貝を取り入れる事が金色堂を特別な光の空間にしたと言います。「夜光貝は奥の方から滲みでる様な、真珠の輝きに近い優しい光を持っています。優しさが漆、蒔絵、金とかみ合ってその光で人々の心が癒される、そうした優しさで当時の浄土仏教の考え、仏様の慈悲を人々が感たのではないでしょうか。夜光貝はそれに適した光と存在感を持っている様に感じます。」

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お堂の中央にある清衡が眠る須弥壇です。その高欄、手摺の部分は紫檀と言います、東南アジアが産地です。艶があってとても綺麗な木です、又、とても硬い木です、それ故その艶、色、硬さから最高級の木材として珍重されて来ました。高欄を縁取る白い筋、実はこれは象牙です。しかもアフリカ象の牙だと言われています。こうした海外の宝物が沢山使われています。こうした宝物がどの様にして平泉に運ばれて来たのでしょうか。

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アフリカ象の象牙は海のシルクロードと言われる海路を通って宋に運ばれたと言われています。又、紫檀も宋へ渡ったと言われています。この宋から平泉の藤原氏の下に齎されたと言われています。そして藤原氏はその対価として大量の金を宋に渡しました。後の時代マルコ・ポーロが「東方見聞録」に記した黄金の国ジパングとは実は平泉の事だと言われています。世界の富を集めた奥州 平泉。宋とはどの様な交易を行っていたのでしょうか。



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crystaltakara at 12:53│Comments(0)TrackBack(0)

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