ポーチュラカカランコエのミニ寄せ植え

2011年07月20日

極上美の饗宴 東山魁夷の旅 挑戦の京都

日本の美を千年以上に渡って築いてきた町、京都。

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昭和38年一人の日本画家が此の地を旅していました。東山魁夷、静かで厳かな自然の姿を画にした、風景画家の巨匠です。

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各地を旅しながら山や森を柔らかな色合いで表し、人気を博しました。

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「緑響く」

その東山が55歳にして人生最大の挑戦に臨みます。そえは「人の営みを描く」と言う事でした。円熟の年を迎えていた東山は人の手が作り出した美しさに目覚めます。5年に渡って京都への旅を繰り返し、伝統の美を表現しょうと苦闘しました。そして生まれたのが54点の連作「京洛四季」。

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「祇園まつり」

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「三玄院路地」

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「秋寂び」

その中に試行錯誤の末に辿り着いた傑作がありました。画面を彩る青が印象的な一枚「年暮る」。大みそかの夜の雪景色、軒を連ねる民家の屋根に雪が降り積もっています。家の窓からは仄かな明かりがもれています。東山は一見どこにでもある様な屋並みの一角を切り取りました。

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京都をテーマにしながら何故この様な場所を選んだのでしょうか。東山魁夷が旅した足跡を辿ります。作品に描かれた場所を訪ねると東山が画面の切り取り方にこめた思いが浮かび上がって来ました。さらに東山ブルーと言われる青の秘密を実験により探ります。するとその色使いにはある感情を呼び起こす事がわかりました。風景画の巨匠東山魁夷が55歳にしてまったく新しいテーマに挑んだ京都の旅。その挌闘の物語をひもときます。

東京、広尾の美術館(山種美術館)に東山が京都を描いた作品が保管されています。東山にとって京都の旅はどの様なものだったか、それをさぐる為に美術館を訪れたのは写真家の三好和義さんです。三好さんは25年以上世界中の心安らぐ美しい風景を撮り続けてきました。近年、京都や奈良など日本の伝統美にも取り組んでいます。

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今回、初めて東山が京都で生んだ傑作と対面します。

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三好さんは東山の見る者を惹き付けてやまない風景の切り取り方や色の使い方に関心を抱きました。大晦日の京都、どこかの町屋でしょうか。東山は家々の屋根が連なる姿だけを絵にしました。空もない、不思議な光景です。ほんのりと灯された窓の明かり、人が一人も描かれていません。此の「年暮る」は京都の旅の締めくくりに描かれた作品でした。東山は京都で何を見つけたのでしょうか。そして此の絵にどの様な思いを込めたのでしょうか。

日本画家、東山魁夷にとって京都は日本の美の伝統を作り上げた憧れの地でした。何度か京都を絵にしたいと思いながらも50代後半まで一度も作品にする事が出来ませんでした。
「私はこんどこそ、生涯の中で最も深く京都を味わってみたいと思う、それは京都の持つ日本的な物の良さに無理なく心が通い、深く触れ合える地点に私の遍歴が達したと思うからである」東山魁夷著 「京洛四季」依り。

東山魁夷は遅咲きの画家でもありました。風景を描くもなかなか世間から認められませんでした。39歳の時ようやく評価された作品です。

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「残照」

房総半島、人里離れた山並み、その夕暮れ、淡い光とその澄み渡る空気まで捉えています。

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「青響」

52歳の時の作品。福島の奥深い山の原生林です。青緑のブナの木の間から一筋の滝が流れ落ちます。人の手の入らない、自然の力強さが伝わる傑作です。

日本を代表する風景画家へと登り詰めました。その東山が55歳の時、新たなテーマに選んだのが京都でした。それまでとうって変わった人々が築いて町です。初めて伝統ある人の営みへと挑戦します。昭和38年から東山は5年の歳月をかけて京都を繰り返し旅しました。どうすれば京都の人々の営みが描けるのか、スケッチしながらの模索が始まりました。

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「あぶり餅」

千葉県市川市に今も残る東山の自宅。此処に京都の旅にかけたなみなみならぬ物があります。

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東山魁夷を研究して来た、練馬区立美術館、野地耕一郎さんは東山が京都に伝えられた古い美術品を集めていた事に注目しました。「東山さんが京都の洛中、洛外の様々な風景を描くに当たりさまざまなロケハンをしながら、その奥底にある京都の美というものをすくい取るに当たり、古典美術の中に表された京都的優美を探って来た様に思われます。」

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「伊勢物語図色紙第九八段 梅の造り枝」 伝 俵屋宗達
江戸初期に活躍した絵師、俵屋宗達とその工房による伊勢物語の場面。東山は京都で育まれた華やかでありながら簡素な表現を学び取ろうとしました。

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江戸中期の陶工乾山による茶入れ。見どころは金を使って描いた、まるでデザインの様な松です。京洛四季の中で東山は此の松の描き方を巧みに取り入れています。

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「嵐山」

松の尖った葉は省略し大胆に形だけて表しました。

京都が最も華やぐ春。東山はその姿を捉える為、古典文学を題材に求めました。平安時代の随筆「枕草子」、清少納言が書いた有名な冒頭の一節を絵にしょうと試みました。

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「曙」 春霞に色々なトーンの色で描かれた山々、そこにここかしこに咲くさくら。此の絵を観た時、とても感動を覚えました。深い文学に裏打ちされて描かれた絵だったからでしょうね。

東山は千年以上に渡って京の都で培われた来た美意識までも掴み取ろうとしました。
東山魁夷著「私の窓」より
「機会ある毎に古典の名作に接する事は私自身の大きな喜びであり、又同時に自己の精神内容を豊かにしてくれる物であると信じています。いわば一本の木にとって自然を深く観る事は葉や幹に太陽の光を充分受ける事であり、古典に親しむ事は大地に張っている根から水分や養分を吸収する様なものではないかと考えています。」

さらに京都では人の手によって作られた独特の自然が有る事を発見します、庭園です。

江戸時代の芸術家、本阿弥光悦が考案したと言われる光悦垣。

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一般的に庭の外側に囲いとした垣を敢えて庭の中に作りました。庭が手前と奥に分けられます。垣の手前に萩、奥に色づいたもみじ、光悦垣に依って庭の中にもう一つの景色が生まれます。東山はそのそこはかとない味わいに気付きました。

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「秋寂び」

京都一の花見の名所、丸山公園の枝垂れ桜。一度は枯れたもの、江戸時代から人々が大切に守り育てて来た桜です。その姿を満月と奇跡的に出合う瞬間を描きました。

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「花明り」

東山は京都で人の手が築いた美しさに目覚めたのです。東山が京都を描く上で最も苦心したのが絵の構図でした。紅葉で有名な東福寺、ここで不思議な作品を残しています。写真家の三好和義さんが描かれた場所を訪ね、構図の秘密を探ります。東山は寺の庭を何故かとても狭い画面で捉えました。

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「東福寺の庭」

石の並び方もどこかアンバランスな印象です。三好さんはまず目に付いた石が整然と並ぶ様子を狭いフレームで撮影しました。すると東山の意図に気づきました。画面に変化があって広がりを感じさせる。東山は絵としての面白さを追求していました。

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京洛四季の連作の54点の内、ごく狭い一部を切り取った作品は半分近くの20点の及びます。

京の花街、祇園、観光客で賑わう一角に江戸時代より続く茶屋が残っています。手入れの行き届いた黒い艶やかな塀と赤い壁がなんとも印象的です。東山は様々なその木材が織りなす、そのリズムの変化に惹かれたのでしょうか。塀、壁、竹の囲いが一つにおさまる狭い画面で表しています。

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「一力」

今からおよそ400年前に築かれた二条城。三好さんは切り取る対象と画面のサイズに東山の思いが隠されているのではないかと思い、絵の舞台となったその城を訪ねました。東山はここで城を象徴すつ立派な二の丸御殿では無く只、石垣の一部だけを描きました。ところどころ横に細長い石が積まれているのが目につきます。いったいどの部分を切り取ったのでしょうか。三好さんは外堀を回って絵の部分を探しました。こんどは城の門の中に入ります。それは二条城の正門のすぐ隣にある石垣でした。一際緻密に作られていた所です。どんなサイズも逃さずに捉えました。三好さんも写真を撮りながら石垣をつぶさに観ている内に、東山が何故この部分を選んだのかを気付きました、外堀の石垣と大きく異なっていたからです。外堀で写した写真と比較します。正門の横の石垣は全て磨かれて、隙間なく積み上げられています。近くで見ると石の隙間にも薄い石の板が差し込んであります。また上下の石がかみ合う様に角を削っています。東山が選んだのは石垣を作った職人の丁寧な仕事振りまで伝える事でした。さらに三好さんはある部分の描写に注目しました。画面左の写真と比べてみると東山は石垣のしみまでそっくり描き込んでいる事が分かります。三好さんは長い年月を経ている事を伝える為だと考えました。

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「二条城の石垣」

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見る物に石垣を作り上げた人達を感じさせる。その広がりや歴史迄も想像させる。東山の切り取り方には緻密な選択があったのです。

東山は京都の美しさを守って来た人達までも描こうとしました。舞台は北山です。深い青が画面一面に広がっています。北山杉が立ち並ぶ山を描いた作品です。

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「青い峡」 私が初めて東山魁夷画伯の絵に心惹かれた作品です。真っ直ぐに伸びた美しい北山杉の構図。そして青い色彩、何時までも眺めていたくなる、その様な作品でした。

山の稜線は見えません。所々に覗く木肌は何処までも真っ直ぐ伸びています。杉木立は全て人の手で植えられた物である事を物語っています。三好さんは東山が絵に込めた思いを探ろうと北山杉を育てている人を訪ねました。

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北山天然出絞丸太

北山杉はおうとつの有る風合いが出る事から珍重されています。人々はその品種を500年かけて守り続けています。今も一本一本きめ細かい枝打ちをして、節が出来ない様に育てています。三好さんは北山杉の山に案内して貰いました。北山杉は40年かけて大切に育てます。白く細長い幹が見えるのは枝打ちして手入れしている証しです。東山が心を動かされた景色を前に三好さんもシャッターをきりました。

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東山は京都の伝統を永遠と守って来た人達の営みを静かに、気高く描きました。杉木立の美しさに秘められた人々の尊い積み重ねと広がりがその絶妙な構図から伝わって来ます。

こうした試みの結晶として生まれたのがあの傑作、「年暮る」です。京洛四季を締めくくる大晦日の夜の光景。

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何故此の様な場所の構図で描いたのでしょうか。手掛かりを求めて三好さんは除夜の鐘で有名な知恩院に足を運びました。東山は実際に此の寺で大晦日の鐘の音を聞いています。東山は大勢の人で賑わい、明かりがまぶしい鐘の傍を離れ、一人座っていました。大晦日の京都の夜を表すのに東山が題材の一つにしたのではないかと考えられる一枚が有ります。江戸時代、京都で活躍した絵師、与謝野蕪村の代表作「夜色楼台図」です。

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しんしんと降る雪の夜、連なる山々と屋並みは京都の風景だと言われています。山の麓には寺。薄く塗られた赤は家から漏れだす明かりです。人々の温もりがそこはかとなく伝わって来ます。東山はどこにでもある様な夜の屋並みに人々の息使いを託する事に気付き、家々が連なる場所を選んだと考えられます。

では何故、背後の風景を切り捨て、家々の屋根が目立つ構図で勝負したのでしょうか。「年暮る」が絵が描かれた場所、それは当時ここ京都の中心部であったホテルの屋上でした。三好さんは立て直されたホテルの部屋を訪ねました。かってあったホテルの屋上と同じ高さです。

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奥に見えるのは東山。その前に特に目立った建物も無い町の一角が広がっていました。此の写真は昭和40年代初め、東山が京都を旅していた頃の京都の町並みです。三好さんが見つけたのは画面の上の寺の屋根です。「年暮る」にも同じ形で描かれています。三好さんは東山の構図のねらいを探ろうとカメラを構えました。奥の山や空を入れ込んで撮影しました。すると何か違和感を覚えた様です。「年暮る」の不思議な構図は画面の上に寺が大きく入り、家が連なる様子だけを強調しようとした為でした。東山が聞いた除夜の鐘が家の一つ一つにしみ入っています。

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京都の美しさを作り上げ、守り、伝えて来たのは町の人々。東山は旅をしながら気付きました。静かな人々の営みが京都其の物であると。

日本画家の荒井経さんは「年暮る」にこめた東山の思いを解くにはもう一つ大きな鍵があると考えています。それは青です。荒井さんは6年前、青の魅力に目覚め、風景画を描いています。荒井さんは青には人の記憶に訴えかける力があると感じています。此の作品では微かな点と広がる青で何処でも無い、それていて何処でも見かけた事のある様な風景を表しました。

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「「年暮る」は見た人、其々の記憶に結びついて記憶を呼び覚ましていく様な作品なのだと思います。その時にこの青い色が記憶の世界の色として使われて行く。モノトーンの世界と言うのは凄く象徴的で、記憶に結びつきやすいと思います。その時に青い色の持つ力が静かさ、厳かさの様な物を引き出す力があるので、自ずとそういう記憶が呼び覚まされてゆく。」

では実際は東山の青は人にどの様な思いを抱かせるのでしょうか。色彩心理学を研究する女子美術大学、坂田勝亮さんに「年暮る」の青を見て貰いました。坂田さんは三角形の屋根の影に青緑が使われている事を発見しました。家の軒下の影になった所も青緑です。東山は絵のいたる所に此の色を多用していました。色のバリエーションを黄、赤、青、緑の塾に分けた図です。人は薄暗い時に青色から緑色が良く見える傾向があります。夜
の風景にもっとも馴染みを感じる色が青緑なのです。

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では「年暮る」の画面はどれほどに馴染みのあるものなのでしょうか。実験してみました。参加したのは20代から60代の男女50人です。実験では前方のスクリーンに微妙に色を変えた三枚の「年暮る」を映します。「年暮る」の青緑は此のあたりです、そのに少し冷たさの青を加えた物と、少し温か味を感じさせる赤を加えた紫を作ります。何も加えていない元の絵、家の壁や手前の影の色を変えます。紫に変わりました。画面右が元の色、左が紫です。

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次に左に現れたのは家の壁や手前の影に濃い青へ変えた物です。

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紫を1番、青を2番、元の絵を3番にしました。三枚から最も馴染みのある物を選んで貰いました。

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結果は色を変えていない青緑が最も多くなりました。1、紫 12人、2、青、13人、3、元の絵、25人でした。坂田さんに依ると最も馴染みのある色使いをするとある特別な感情を引き起こすと言います。東山が青緑を使った狙いもそこにあると考えられます。「青から青緑へのグラデュエーションで描かれた夜の絵は私達にとってとても懐かしい、普段見慣れている様な景色なわけですよね。そうすると僕が見た時に僕が見た事のある、記憶の中にある懐かしさというか、郷愁の様な物を呼び起こしてくれるのだろうと思います。」

東山ほど青緑を使った日本画家はいません、人呼んで”東山ブルー”。もともと生き生きとした自然を表すのに使っていました。それが50代前半に訪れた北欧の旅で変わります。静かに澄み渡る風景、多彩な青緑で描いています。日本には無い、清らかで雄大な景色に憧れた東山の思いが生みだしたものでした。

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「二つの月」


此の青の変化の秘密は画材にありました。市川市の自宅のアトリエには今も膨大な色が残っています。

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群緑と呼ばれる色です。

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群緑は群青と青緑を混ぜて作る色で、東山は少しづつ配合を変えて数えきれないバリェーションを作り上げました。

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「年暮る」はいわは”東山ブルー”の完成でした。後にこう語っています。「青は憧れと懐かしさの色」だと。東山はこうして日本人が愛してやまない心の原風景に到達したのです。

「年を送り、年を迎えるその時、多くの人の胸に浮かぶであろうあの気持ち、去りゆく年に対しての心残りと来る年に対してのささやかな期待。行きこう年もまた旅人の感慨を京の旅で私はしみじみ感じた。こうして私の京の旅は終わった」

三好さんは最後に「年暮る」の青に挑みました。カメラをかまえたのは朝4時、日の出前の時間です。

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東山は夕方では無く、朝の日の出前の時間に描いたのかも知れません。

東山魁夷、55歳、5年間で100ヵ所以上を訪れました。春、夏、秋、冬と繰り返された旅で抱いた思いをこう語っています。
「京都の人の生活程季節と親しく結びついて営まれる例も少ないと思う。それは遠い昔から日本人の美の基盤であり、表れあった。これは京都による歳時記である。京都の四季を通じて日本の美を想う、私の心の願いである」

「夜明かりをともし肩を寄せ合う様に暮らす人達、これからも日本の美を育んで行きます様に。」

大きな挑戦で芽生えた東山の希望です。


番組を見た後、手元にある「京洛四季」の本を手にしました。静かな東山魁夷さんの文章と供に絵を観ていくと静かな京の世界を訪れているかの様な思いがしました。

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「京洛四季」をより深く知る上で参考になる番組でした。



                極上美の饗宴 東山魁夷の旅 挑戦の京都  引用



































crystaltakara at 17:21│Comments(0)TrackBack(0)

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