2011年01月29日

「マイセン磁器の300年」展

サントリー美術館で開催されている「マイセン磁器の300年」展に行ってきました。

2011年は、日独交流150周年にあたります、また、これに先立つ2010年には、西洋陶器の発祥となったドイツのマイセン陶器製作所が300周年を迎えました。この機会に西洋陶器誕生のドラマと300年にわたる歴史の全容を紹介する為に国立マイセン磁器美術館より優れた作品を選りすぐり、展示する展覧会となっていました。

第Ⅰ章  西洋磁器の創成期

中国特産の磁器は、香辛料や絹織物とならぶ貴重な交易品として、西に向かい運ばれていきました。16世紀の大航海時代を経て磁器は次第にヨーロッパの王侯貴族の心をとらえ、17世紀にはオランダ連合東インド会社の船で景徳鎮や備前有田産の磁器が大量に海を渡りました。エキゾティックで高価な磁器は、「白い金」と讃えられ、富と権力の象徴としてきらびやかなバロック宮殿を飾り、またコーヒー、ティー、ココアといった新しい嗜好品の広がりと共にそれを楽しむ新奇な道具として熱烈なブームを起こしました。王侯貴族や裕福な市民が収集に走る一方で、白く透光性があり、叩くと澄んだ音のする磁器の製法は謎とされ、各国君主が解明を競い合うなか、最初に成功を収めたのがドイツ東部に位置するザクセン公国でした。ザクセン選帝候フリードリッヒ・アウグストⅠ世は、ベルリンから逃亡してきた錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーの身柄を拘束し、命と引き換えに陶器製法の解明を命じました。ドレスデンの要塞に幽閉されたベッガーは、フライベルクの鉱山官オーハインや治金の専門家らと共に、宮廷科学者チルンハウスの協力のもとに体系的な焼成実験を繰り返し、1708年1月15日最初の磁胎を焼成、1703年3月までには釉薬の問題を克服して、東洋製品に劣らぬ硬質磁器の発明を達成しました。1710年1月23日、ドレスデンではヨーロッパ初の磁器製作所の設立が宣言されました。他国に先駆けた発明の秘密を守るために、エルベ川下流マイセンのアルブレヒツブルク城に工房が設置され、6月6日王立磁器製作所が操業を開始しました。


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宜興写し瓶、白磁瓶

マイセンの始まりは此の様な瓶の製造から始められたのですね。

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レーヴェンフィンク動物図黄地瓶

龍、獅子、麒麟など中国陶器の絵付けをもとに、伝説上の生き物をッヨーロッパ流にアレンジして新しい絵柄を生み出しました。此の様な絵柄をマイセンでは「レーヴェンフィク様式」と名付けています。

東洋の磁器を手本に文様が描かれているのが顕著です。此の様な文様より始められた事に驚きを覚えました。

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梅鶉図黄地喫茶セルビィス

初期の色絵喫茶セット。中に柿右衛門写しの梅と鶉の絵柄が描き込まれています。

当時の東洋美術への憧れが垣間見れます。


ヨーロッパ様式の誕生

1733年にアウグスト強王が崩御した後、マイセン陶器は東洋の影響を離れ、フォルムと装飾の両面で西洋式のものに変化して行きます。植物画譜を手本にした写実的な花卉図が描かれ、やがてヨーロッパ的な花絵付けの様式へと発展してゆきます。1717年にフンガーとメールホルンが最初に成功したコバルト顔料による染付技法は、1733年までに鮮やかな発色の青に改良され、有名な「ブルー・オニオン」(玉葱模様)や「ムギワラキク模様」といったマイセン独自の染付模様が誕生しました。

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ヨーロッパ様式花卉文皿。

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ワトー・セルヴィス、貝殻形コンポート

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スノーボール貼花装飾ティー・ポット

「ブルー・オニオン」に次いで有名なマイセンの装飾の「スノーボール」と呼ばれる貼花装飾。とても細かい細工に息をのむ思いがしました。すごい集中力と忍耐とが必要とされますね。

第Ⅱ章  王の夢、貴族の雅

18世紀のマイセンを眺めていると、アウグスト強王が夢見た壮大な磁器の世界やロココ時代の貴族の楽しみや情熱がよみがえり、華やかな宮廷生活の情景が目に浮かんできます。磁器には時代を映し出す不思議な力が備わっています。17世紀バロック時代に、海を渡った貴重な磁器は「白い金」と呼ばれ、富と権力の証しとして宮殿装飾には欠かせぬ要素となりました。17世紀後半には「磁器室」(ポーリスン・キャビネット)という専用の展示室がしつらえられ、東洋の宝物を愛好する君主たちはひそかにそれを自慢し合っていました。野心家のアウグスト強王はこの趣向を遥かに凌ぐ計画を思いつき、マイセンを前代未聞の挑戦に駆り立てることになります。王は国の財政を逼迫させるほと猛烈な収集にのめり込み、マイセン磁器製作所にも膨大な数の注文が下されました。さらに17~18世紀には陶器以上に贅沢な趣味として、ライオンや象などエキゾティックな動物を集めた「メナージュリ」(宮廷の動物園)というものがありました。強王は「日本宮」の目玉としてその「メナージュリ」を磁器で再現する計画を抱きました。そのため宮廷彫刻家ケンドラーが造形家としてマイセンに登用され、実物大を含む沢山の獣や鳥類などの制作が命じられました。ふたつの贅沢を結びつけたこの究極の挑戦は、強王の死と七年戦争の勃発により完成をみることはなかったものの、マイセンではケンドラーの手腕により陶器彫刻が発展してゆきます。

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メナージュリ草物彫刻 アオサギ

いろいろな動物彫刻が展示され、それらが飾られた模様も展示されていました。

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コロネーション・セルヴィス、皿

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パリの物売り

第Ⅲ章  市民階級の台頭と万国博覧会

七年戦争の間プロイセンの蹂躙を受けたザクセンでは、戦争終結後も深刻な経済状態を余儀なくされ、製作所も回復まで長い年月を要しました。芸術面でもマイセンが得意とするロココ様式が次第に翳りをみせ、啓蒙主義時代の貴族の間に古代美術への憧憬が広がり、強烈なブームを起こし始めていました。1775年にはヘロルトとケンドラー二人の巨匠が相次いで亡くなり、ひとつの時代が終わりを告げました。カメーロ・マルコリーニ伯爵が製作所の最高責任者を務めた40年におよぶ就任期間の間、マイセン磁器のデザインは新古典主義に基づいて行われました。しかしその歩みも、ナポレオン戦争の影響により、再び中断を余儀なくされました。深刻な打撃を被ったドイツ諸国では、フランケンタール、ヘキスト、ルートヴィヒスブルクなど18世紀中頃に開窯した磁器窯の大半が閉鎖となり、マイセンでも創立100年を迎える1810年には一時操業停止を検討するほど深刻な事態を経験しました。しかしながらこうした苦境においても職員は希望を失わず、科学者ハインリッヒ・ゴットリーブ・キューンの働きにより「緑の釉下彩絵具」や「光沢金」の開発、製造設備の近代化が進められ再び躍進を取り戻していきました。販売面でも幸いイギリスを中心に新たに富を蓄えた市民階級が購買に加わり目覚ましい回復をみました。かって王侯貴族の占有物であった磁器は、国内外を問わず豊かな市民の間に広がりをみせました。19世紀半ば以降各国は急速な工業化にともなう激しい国際戦争に巻き込まれていきました。磁器は芸術を活かした産業分野として新たな脚光を浴び、経済の発展にともない市場の拡大をみました。1865年マイセン磁器製作所は、設備の近代化のためにアルブレヒッブルグ城を離れトリービッシュタールにある現在の場所に移転し、第二の黄金期を迎えることになります。この時代、芸術面ではゴシック、バロック、ロココなど伝統様式の復活が花開き、19世紀後ヨーロッパの大都市で開かれた万国博覧会の会場をにぎわせました。マイセンは1851年の第1回ロンドン万博を初回としてパリ、アントワープ、シカゴと回を重ね、この産業のオリンピックと形容すべき国際舞台に技巧を凝らした大作を発表し、高度な芸術性と優れた技でライバルたちを圧倒しました。

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「マイセンのバラ」喫茶セルヴィス

新古典主義の特徴をもつビーダーマイヤー時代の代表的なデザイン。
富や権力で制作された作品よりも此の様な作品の方が、心がほっとしますし、純粋に美しいと思います。

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大壺(海の女神アンピトリテ勝利の行進)
精密な絵柄ととても美しい色合い、みとれてしまいました。

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神話図壺(ゼフィロスとアモール)左、(ブシュケあるいは音楽のアレゴリー)右

この壺の装飾は「パット・シュル・パット」という特殊な技法で描かれています。カメオの様なレリーフを作り上げる技法です。

説明の通リカメオの様に装飾が浮きあげって見えて、とても美しいと思いました。

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ブラウンスドルフ様式バラ瓶

漆塗りの様な濃い地色を背景に薔薇が浮かんでいる様に描かれています。薔薇の花弁に透明感があり、花弁の1枚1枚が透けて見えます。柔らかい花弁を触れる様な錯覚に捕らわれます。

第Ⅳ章  モダニズムの時代、アール・ヌーヴォー、アール・デコ

19世紀末から20世紀の初頭にかけてヨーロッパでは、アール・ヌーヴォーと呼ばれる核心的な様式が一世を風靡しました。1900年のパリ万国博以降マイセンでもヴァン・ド・ヴェルドやリーマーシュミットら外部のアーティストからデザインの提供を受けて、こも新しいムーヴメントの積極的な受容が図られました。新様式はテーブル・ウエアのみならず彫刻作品にも認められます、ファッショナブルな衣装に身を包んだモダンな女性像や身近な子供の姿を写したコンラート・ヘンチェルの子供シリーズなど、意欲作が目立ちます。19世紀末からの国際的な流れを受けて、マイセンでもケンドラー以降顧みられることのなかった動物彫刻が復活し、次々と新しいモデルが発表されました。アール・ヌーヴォー期を通じたこうした芸術的革新は、マックス・アドルフ・ファイファーが製作所を指揮した第一次世界大戦後のアール・デコ期に最高の結実をみました。1913年にマイセンに迎えられたファイファーは、エルンスト・バルラッハ、ゲアハルト・マルクス、パウル・ショイリッヒ、マックス・エッサーら既に名のあるアーティストにモデル制作を依頼し、マイセンの歴史上ランドマークとなるような一時代を築きました。人物彫刻に優れたショイリッヒと動物彫刻を手掛けたエッサー、この二人の芸術家はエンドラーに並ぶ造形家として、磁器という素材を熟知し、磁器でしか成し得ない自由でかつ内的な緊張感に溢れた芸術表現を生み出しました。一方製作所の専属アーティストとして、造形と絵付けの両面に才能を発揮したパウル・ベルナーは、伝統的なマイセンのイメージを覆すような、エキゾティックで斬新な花瓶の数々を手掛けました。さらに叩くと美しい音色の響く磁器の特性を活かしたカリヨンは、デンドラーでさえも完成することのできなかった困難な挑戦でありましたが、技術面でも特異な才能に恵まれたベルナーは初めてこれを完成させて成功を収めました。マイセンはこの時期、18世紀の黄金時代に引けをとらぬハイレベルな創作活動を通じて、再び磁器を美術の本流を担うものに生き返らせるとともに、20世紀初頭の磁器界を牽引しました。ファイファーの功績はまた、製作所の最も大切な資産と言える石膏原型を保護管理する保管庫の整備や、国立マイセン磁器美術館の前身となる展示ホールを開館させ、マイセンの歴史的コレクションを文化遺産として一般公開に導いた点でも注目されます。

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ウィング・パターン・セルヴィス

翼の形を抽象化したデザイン。アール・ヌーヴォーらしいデザインでとても斬新な感じがして素敵です。

アール・デコ

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カワウソ

「カワウソ」のモデルは1937年のパリ万博に出品されグランップリを受賞しました。

毛並みの一本一本まで精密に描写され、本当のカワウソを見ているかの様な思いにかられました。

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貴婦人と雌鹿

1937年のパリ万博に出品されグランプリを受賞しました。

貴婦人の洋服のドレープがとても見事に表現されています。

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バルナー様式花弁文壺
ベルナー様式花弁文楕円大皿

グラフィック的な美しい絵柄と色彩が素晴らしい作品です。

第Ⅴ章  創造の未来へ

第二次世界大戦終結後東西に分裂した冷戦時代、マイセン磁器製作所は社会主義体制下に組み込まれて再出発しました。終戦後ソ連軍によって運び去られていた歴史的コレクションも返還され、磁器製作所は1960年に創立250年を祝う事が出来ました。
1960年造形家ルートヴィッヒ・ツェプナー、ペーター・シュトラング、絵付けデザイナーのハインツ・ヴェルナー、の3人が新たな創造をめざしてグループをつくり、これに絵付けデザイナーとしてルディ・シュトレとファルクマール・ブレッチュナイダーが加わり「芸術の発展を目指すグループ」の活動が始まりました。20世紀を代表するセルヴィス「グローサー・アウスシュニット」は、1973年ツェプナーによってデザインされ、20種類を超える絵柄のシリーズが生まれました。「千一夜物語」のエピソードをモティーフに発展させたものです。彫刻の分野では、演劇や童話、サーカスの世界に着想を得たシュトラングの個性が際立っています。彼の作品には、西洋磁器の成形法としては脇役に置かれていた「手捻り」の表現力が活かされています。顔や手など主要のパーツを「型をつかわないで成形する」フィギュリンの専門工房が、シュトラングによって立ち上げられました。よりユニークなものより価値のある芸術を求める磁器愛好家の期待に応え、1982年以降、アーティストの手になる芸術作品の個数限定品をつくるアトリエ制作部門が、存在価値を高めています。
1990年東西ドイツが統一され、国立マイセン製作所は自由主義体制のもとで21世紀をむかえました。1992年アルブレヒツブルク城で開かれた展覧会「道」では、新世代のアーティストが紹介されました。絵付けデザイナーのグードルン・カウベ、造形家・絵付デザイナーのザビーネ・ワックスとジルヴィア・クリューデ、造形家のヨルク・ダニエルチュクらの名が挙げられます。2010年6月6日創立300周年を迎えた国立マイセン磁器製作所では、今日も18世紀以来の伝統を守りつつ、新しい磁器の可能性を求めた挑戦が続けられています。

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「アラビアン・ナイド」喫茶セルヴィス


マイセン磁器の300年を振り返る内容の濃い展覧会となっていました。













crystaltakara at 18:19│Comments(0)TrackBack(0)

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