2013年09月

2013年09月30日

美の巨人たち  エミール・ガレ  「フランスの薔薇」

招く様に波間からのびる海藻や貝をまとった手、そのなんと艶かしい事か。

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「手」

漆黒の闇に落ちて行くのは力はてた蜻蛉。

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「蜻蛉文鶴頸篇瓶」

ねっとりと絡みつく、匂い立つ様な洋蘭の女王カトレア。

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「欄文八画篇壺」(カトレア)

実はこれらは皆ガラスで作られているのです。作者はアール・ヌーヴォーの騎士と呼ばれた天才ガラス作家。無機質なガラスに命の物語を吹き込んだそのガラスの申し子は持てる技術の全てをつぎ込んだのが此の作品。モチーフは薔薇。そこにはどんな物語が込められているのか。

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19世紀から20世紀にかけてフランスで作られてアール・ヌーヴォーのガラス芸術の数々、海を超え日本、長野県、諏訪市にあります。諏訪湖畔に佇む北澤美術館。設立者の北澤利男が半生をかけ収集したコレクションです。

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中でも特に妖艶なガラス芸術、それが今日の作品、1901年頃 エミール・ガレ作「フランスの薔薇」。高さ43Cmの花器です。ピンクにかすかにブルーがまじりあってい、妖艶な美しさを放つガラス。表面には薄らと浮き彫りにされた葉っぱが数枚、その下から伸びた茎の先にはうつむいた薔薇。枯れて萎れているのではありません、蕾なのです。萼がそりかえり、蕾から真っ赤な花びらが数枚 今開こうとしています。その不思議な存在感。ガラスに溶け込み儚げな曲線を描いている葉や茎とは対照的です。裏から覗いてみると長閑な光の中で咲く一輪の花、表のごってりとした薔薇と比べると目立たない印象を与えます。ブルーのマーブル模様の脚台には小さな蕾が飾られ、花がもう一輪咲いていました。しかし此の薔薇、へんなのです。私達がよく見る薔薇の花とは何か違う様な、そこにはガレの特別な思いが。

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フランス東部ナンシー、19世紀末アール・ヌーヴォーが繁栄した地。自然界の動植物をモチーフにしたアール・ヌーヴォーならではの曲線が街中に溢れていますこの街で時代を先導したエミール・ガレ(1846-1904)。ガラス工芸のみならず家具や陶器など様々な作品を生み出したマルチナアーティストでした。そんなアール・ヌーヴォーの巨匠にはさらにもう一つの以外な顔があったと言います。

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庭師」シャンの証言
「よく来たね、ガレの庭へ。庭って呼ぶには少々抵抗があるがね。なにしろ此処の広さは2ヘクタール、600坪あるんだから。此処には世界中から集められた2500種もの植物があるんだ。庭と言うより植物園と呼んで欲しいね。旦那様は時間をみつけては植物採集に出かけて此の庭を作り上げたんだ。植物専門誌に論文を発表する程の知識で花をテーマにしたガラス作品も作っているよ。あの「フランスの薔薇」もその一つだね。ただあれは他の作品と違って特別なんだ。ナンシーの中央芸術協会の会長、シモンさんの引退記念の贈り物としてデザインされた物だからね。でもどうしてあんな蕾にしたんだろう。下を向いているなんて。」

植物をこよなく愛したガレ。ナンシー中央園芸協会では副会長を務めていました。「フランスの薔薇」を贈答したシモンは園芸協会の初代会長だったと言います。モチーフを薔薇にしたのはシモン氏が薔薇の専門家だったからです。しかし記念すべき引退の贈り物としてデザインしたのに何故 下向きの悲しげな蕾をモチーフにしたのでしょうか。さらに「フランスの薔薇」と言う名前の謎が、ガレが此の薔薇に託した思いとは。その華やかさゆえに薔薇の咲き誇る姿を多くの画家が描いてきました。しかし今日の作品「フランスの薔薇」は私達がよく知る薔薇と些か違うようです。記念品としてデザインされたのに何故か悲しく、うつみた蕾。作品名の「フランスの薔薇」はラテン後で「Rosa gallica」と言います。実はRosa gallicaとは薔薇の品種名でもあります。名前の通りフランスを代表する薔薇で、現在の様々な薔薇の原種なったと一つです。ガレはシモン氏に贈る作品のモチーフに「フランスの薔薇」「Rosa gallica」こそ相応しいそう考えたのでしょう。当時の雑誌にも「Rosa gallica」はっきりそう書かれています。

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ところが薔薇園芸家の方に今日の作品を見て貰うと「ガリカの様には見えない。ガリカの蕾だと上を向いて咲いてくれる事が多いから、ちょっとガリかぽくないと思います。」

実際のロサ ガリカの写真です。花は正にその物に見えますが、蕾は確かに上を向いています。うつむくはずの無いロサガリカ、では何故下向きの蕾にしたのか。それを解く鍵は19世紀末のフランスとガレの切なる思いがありました。

当時ガラスは工芸品にすぎませんでした。ガレ自身も父親の食器販売の会社のあとを継ぎ、古典の手法を受け継いだガラス工芸品を作っていました。しかし時代は象徴主義が台頭、内面世界をシンボリックに観念的に表現する絵画、音楽が現れます。ガレもガラスに象徴主義的表現を込めようとしました。

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ギュスタヴ・モロー作  出現

「もの言うガラスと言うふうに呼んでおりました。詩の一文を彫り込んだり、何か掛詞を彫り込んだり、ガレの様な内面的な、観念的な物を象徴的に表そうとしたガラスというのは後にも先にもありませんでした。」

ガレの象徴的なガラスが認められたのはエッフェル塔が建設された1889年の第四回万国博覧会。当時の万博は品評会としての役割も担っており、出品者は様々な工夫を凝らしました。

「そう1889年は最高の年だったよ。万博ガラス器部門で上位のグランプリを取って。世間に旦那様のガラスが認められた。真っ黒のガラスが大好評で、ガラスでも精神的な表現が出来るって評価がされていたな。一躍有名になったガレ工房はどんどんと発注が来て、大忙しだったよ。でもあんな大成功をおさめたのに旦那様はまだなにか新しい事を初めようとしているみたいなんだ。」

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万博で注目を集めた彼はそれまで以上により高度な超越した技を追求して行きます。表現の限界に挑む事でガレの作品は深みと凄みをまして行きます。「フランスの薔薇」はその集大成とも言える作品なのです。

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花瓶(あざみ) 1900年

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ランプ(アイリスの蕾) 1900年

いったい何が他のガラス工芸家と違うのか。ガラス工芸家の菅原さんに技法の再現をお願いしました。怪しげな空気を漂わせるピンクと青のくすんだ色の表情、これはサリッシュールと呼ばれる技法が使われています。

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「ガラスや鉄の粉など普通は捨てる物をわざとガラスに付けて汚れた様な、ぼかした様な模様を表現する。」

不純物が混ざる事はそれまでは失敗とされていましたが、ガレは大胆にもよれを装飾の一つとしたのです。

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そして飴細工の様な滑りのある、俯いた薔薇。装飾したいモチーフを高温で柔らかい状態のままベースとなるガラスに溶着させる技法です(アプリカッション)。此のアプリカッションによって単なる器として使われて来たガラスに生命が宿った感覚を起こさせます。

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そして脚台の一輪の花、風に揺らめいているかの様な質感です。装飾したいモチーフを薄く形どってベースとなるガラスに馴染ませてゆく、マルケトリー技法が使われています。

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「今みたいに設備が整っているわけじゃ無くて、その状態でここまで作るっていうのは凄いなと思います。ガレの作っている薔薇を同じ様に作れって言われたら作れないです。」

現代に於いても容易に再現する事が出来ないと言う複雑な技法。その超絶技工によって他の追随を許さないガレ独自の芸術世界を完成させていったのです。

庭師ジャンの証言
「あの薔薇の作品はかなりこんつめて作ってたな。まあ園芸協会会長のシモンさんの引退記念だからな。でも旦那様とシモンさんを結びつ付けるのはだけじゃ無い。30年前のあの忌まわしい出来事が関係しているんだ。」

ガラスに象徴的な意味を持たせて来たガレはこう言います「花は雄弁です。それは花の構造や命の神秘、あるいは芸術家の筆による象徴性によるのですが、時として人間の表情よりも豊かな暗示力があるのです。」

匂い立つ様な薄桃色をまとい妖艶に咲くカトレア。しかしその裏を見る枯れ落ち、朽ち果てた花が。一つの花瓶で隣り合う生と死。ガレは度々自らの思想をモチーフに託し、表現しました。

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フランスを代表する薔薇の名前をつけた今日の作品でも俯いた薔薇の蕾が実に印象的です。いったい何を表しているのでしょうか。ガレはフランスを代表する薔薇、ロサ・ガリカに対してある強い思いを抱いて来ました。ガレの言葉です「ロサ・ガリカ」はロレーヌではメッスにあるサン・カンタス山の上にしかその血の様な花びらを咲かせない。

ロレーヌ地方のメッスとは1870年の普仏戦争でドイツの奪われた土地でした。此の戦争にはガレも24歳で従軍。戦場となったロレーヌはフランスの敗北により分断され、ドイツ領となります。その戦いに流れた血の色をロサ・ガリカが象徴しているとガレは言うのです。占領された街から多くのフランス人がナンシーへ移住して来ました。園芸協会会長シモン氏もその一人。「フランスの薔薇」が贈呈されたのは1901年、戦争から30年経っていましたが、故郷は未だにフランスに返還されていませんでした。

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北澤美術館 主席学芸員 池田まゆみ
「ガレが何か作品を作る時に植物を選ぶ時は必ずそこに象徴的な意味を持たせております。割譲された、その屈辱を嘆く薔薇と言う事で下を向いていると言う事は考えられると思います。愛国心を込めて全力を投じてデザインし、作り上げた記念碑的な大作だと思います。」

蕾から今まさに開かんとする数枚の赤い花びら、ロレーヌ地方ではサン・カンタス山でしか見られないと言う真っ赤な花びらです。それはまさに血が滲み出て来る様に見えます。いまだ帰らぬロレーヌへの思いをガレは俯いた蕾に込めました。「フランスの薔薇」はガレの心を雄弁に語っているのです。

庭師ジャンの証言
「旦那様とシモンさんは1877年がナンシー中央園芸協会設立時からの長い付き合いだ。会長であるナンシーさんを旦那様はずっと支えてきた。そんな二人は同じ様に戦争の傷跡を引き摺って来たんだ。此の俯いた蕾を見てシモンさんも直ぐに旦那様の思いが分かったと思うよ。」

アルザス地方がフランスに返還されたのは1919年、ガレの死後15年が経っていました。

俯いた蕾には忘れてはいけない戦争の記憶がこめられています。その強い思いを圧倒的な超絶技法によって表現し「フランスの薔薇」を完成させました。ただ忘れてはならないのは裏側に優しく付けられた満開の薔薇。ひっそりと咲く此の花にその占領下でも負けない誇りと希望をこめたのかもしれません。

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エミール・ガレ咲く「フランスの薔薇」 雄弁に語る蕾、フランスの誇り。


先日、北澤美術館を訪れた折、「フランスの薔薇」を鑑賞しました。大作のとても美しい花器でした。俯いた蕾にその様な悲しい物語があるなんて・・・でも真っ赤に開花した薔薇よりも下向きの蕾の方が儚げがあって素敵なのではと思いました。



     美の巨人たち  エミール・ガレ 「フランスの薔薇」  引用































crystaltakara at 17:20|PermalinkComments(8)TrackBack(0)

2013年09月08日

憧れの上高地 & 北澤美術館

二十代より行ってみたかった上高地、念願叶って行って来ました。

スーパーあずさに乗り八王子を出発し松本に到着しました、その後は電車とバスを乗り継いで上高地に向かいます。途中三つのダムを通り、長い長いトンネルを通ります、やはり山奥ですね。バスを降りた途端、空気の良さに感動します。葉の緑を一杯吸収した様な透き通る空気、太古の人は此の様な空気を吸っていたのでしょうね。

お昼過ぎの到着でしたのでまずはかっぱ食堂で昼食をとりました。食いしん坊な私達は有名なトワサンクのアップルケーキもいただきました。りんごの一杯つまったアップルケーキとても美味しかった!!電話で注文して送って戴く事も可能です。

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お腹一杯になった私達はようやく上高地散策を始めました。梓川の水の美しい事、かっぱ橋からは穂高の山々が望めます。



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此の光景は東山魁夷さんの絵の様です。

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ウェストン碑

梓川の川の音を聞きながら歩く散歩道、あー自然の真っ只中に居ると感激します。20分程歩いて今日、宿泊する清水屋ホテルに到着しました。

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部屋で一休みした後、大正池まで歩こうと出かけました。ところがなんと反対側の道を歩いてしまってたどり着けませんでした。残念!!きっと幻想的な景色がみれたのに。此の道を制覇する為にももう一度訪れたいと思います。夏の花は終わってすすきが咲き始めていました。そんな中、こんな可愛らしい花が咲いていました。

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ホテルに戻り、夕飯までの時間。窓から美しい流れを見せる梓川と緑の山にたなびく白い雲を眺めていました、何時まで見ていても飽きる事はありません。

清水屋ホテルの夕飯はフレンチのフルコースです。

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食事が終わるとお腹が一杯になってしまいました。後の楽しみは温泉です。上高地では清水屋ホテルともう一軒の宿屋にしか温泉はありません。私は温泉に入れる事をとても楽しみにしていました。露天風呂もありとてもリラックスできました。

夜になると外は真っ暗、梓川の川の音が聞こえるだけの静寂。もう一泊したいわと思いました。

翌日は私が行きたくて行きたくて仕方のなかった上諏訪にある北澤美術館に行く予定にしていました。

朝早く上高地を後にして、上諏訪に向かいました。やっと北澤美術館に到着、いよいよ来れた事にとても高揚してしまいました。北澤美術館の30周年にあたり、特別展として「エミール・ガレ ベスト・オブ・ザ・ベスト」が開催されていました。100点に及ぶ作品が展示されていましたのでとても見ごたえがありました。

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フランスの薔薇  エミール・ガレ

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ヘレボレス文花器  エミール・ガレ

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団栗文ランプ  エミール・ガレ

どの作品も素晴らしく図録が販売されていなかったのが残念でした。

自然に包まれた素晴らしい旅行でした。









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