2012年04月

2012年04月30日

フランネルフラワーの寄せ植え

今日は曇り空でしたね。でも宝と散歩しているとじんわりと汗をかきます、明日からは5月ですものね。

今日はフランネルフラワーを使って寄せ植えを作りました。

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白いエーデルワイスの様な形のお花がフランネルフラワー フェアリーホワイト、名前の通り純白なお花が妖精の様ですね。その前に植え込んだのがジニア プロフュージョン、アプリコットの色合いがってもシックです。その横に青空の様なブルーの美しいワスレナグサ。一番前にはツルニチニチソウを植え込みました。


玄関の寄せ植えにニューフェスが登場、伊予獅子てまりを植え込みました。此の淡いピンク色に私は弱いのです。しなやかな枝振りの山紫陽花です。

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玄関の寄せ植えには千両、シキミア、匂いスミレが植え込んであります。北側ですのに皆、年々大きくなっていて頼もしい植物達です。

そろそろニチニチソウも出回る季節でしょうか。こんどはハンギングを作りたいと思っています。





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2012年04月29日

桜 さくら SAKURA展

山種美術館に「桜 さくら SAKURA」展を観に行って来ました。各々の画に作者の言葉と其の画に相応しい歌が紹介されていて、心に響く展示方法となっていました。

まず目に入って来たのは奥村土牛作の「醍醐」です。心までもが桜に染まっていくかの様な素晴らしい作品です。此の絵画を観る前に「美の巨人たち」で此の絵画の説明を受けていましたので、感動がより大きかった様に思われます。

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此の絵は京都醍醐寺、三宝院の樹齢150年の枝垂れ桜を切り取った名画です。

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昭和38年の春、小林古径の7回忌の法要が奈良で行われました、その帰り京都、醍醐寺に立ち寄り、此の枝垂れ桜に出会います。神々しい程の輝きに満ちた桜の優美な佇まいに吾を忘れてみとれました。古径の導きとも言える出会いに運命を感じ、何時か描きたいと心に決めました。しかし時を経て描かれたのは意表をつく大胆な桜でした。優雅に枝を広げる満開の枝垂れ桜の全体を描くのではなく周囲を切り取り幹を中心にした構図にしたのは何故なのか。花弁一枚一枚を緻密に描いたのではないのにたっぷりの量感に見えるのは何故なのか。

83歳の土牛が此の絵で辿りついた一つの境地が色でした、どこまでも淡く透明な薄紅色、花弁を一枚一枚細かく描いているのではありません、色にもむらがあります、それにも拘わらず満開な桜に見えるのはなぜか。土牛が使ったのは綿燕脂という絵具でした。今ではてに入らない貴重な染料はラックカイガラムシの体液を抽出し綿に染み込ませたものです。

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東京芸術大学大学院 宮廻正明教授に綿燕脂の使い方を見せて貰いました。切り取った綿燕脂を水に浸し、染み込んだ染料を搾りとります。

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深みのある鮮やかな赤です。そこに少量の砂糖を加えて溶かします。次にゆせんにかけて水分を飛ばします、焼き付けと言う作業です。砂糖がはいった事で独特のてりと粘り気がでるのです。そして此の綿燕脂を胡粉に混ぜると一瞬にして見事な桜色になります、此れが醍醐の桜の色なのです。

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実際に描いて戴きましょう。うすく胡粉を引いた下地に同じく胡粉で花弁を描き、その上に桜色をうすくのせて行くのです。最初は色がついているのかどうかもわからない程、しかし何度もをれを繰り返すうちにやがて下地が仄かなピンク色に染まって来ます。

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花弁の表情がそれぞれに微妙に違っています。花の周囲に出来た絵具が染み込む時のむらが豊かな花の表情になるのです。百回以上も色を重ねその濃淡で表現された見事な迄の満開の桜。花弁を一枚一枚細かく描くのでは無く、淡くうすい色のかさなりによって桜の透明感と奥行きを表現しているのです。

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土牛は自ら重ね塗りについて「度々色を重ねて塗ってもそれが薄く見えると言う境地。それが現在の私の目指しているところである」と述べています。

しかしこれほと花の色を極めながらなぜ絵の中心が幹なのか。桜の中に何を見ようとしたのか。奥村土牛が昭和30年に発表した「城」

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単なる風景としての城では無く、建物の重なりや屋根など独特な造形美を大胆に色の面だけで切り取りました。同じく姫路城を描いた「門」、此の作品は門も開口部に注目し土塀に遮られた日本の城門特有の不思議な空間を切り取っています。この大胆な切り取り方こそが土牛流なのです。

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一瞬の内に捉えた感動をその場でスケッチします。その場所に拘った時、すでに土牛の目には描きたい部分が切り取られていたのです。「何時か醍醐の桜を」その思いは枝垂れ桜に出会ってから10年後に実現しました。寺に入り此処と決めたその場所に腰を据え早朝から日が暮れるまでスケッチを重ねました。花の盛りの一週間寺の人がお茶を薦めても耳に入らす一人黙々と描き続ける、その時の感動を書きとめたスケッチです。枝を一杯に広げた花姿をばっさりと切り取って大胆な構図に絞り込んでいます。

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本画ではさらに削ぎ落としています。此の絵で土牛は画面の中央に絶妙な垂らし込みで描かれた太い幹を配しました。150年間風雪に耐えて来た古木の生命力をどうしても表わしたかったから。生涯の師古径の導きとも言える運命的な桜との出会い、そのえにしを深く胸に刻みながら画家は自分の桜を描いたのです。それは正に苦労を画に見せないと言う古径の教えそのものでした。土牛は古径との縁をこう語って「下町生まれのまだわけの分からない悪戯っ子だった私が古径先生の美しい御人格に打たれてこんなにも清らかな世界があるものかと驚いた感情は忘れる事が出来ません」

日本画家奥村土牛 荒れ地を耕す牛のごとくひたすら美の奥底を見つめ続けました。渾身の力で描いた清らかな世界。薄く淡い色を追い求め、切り取った世界に桜の命を封じ込めました。奥村土牛画伯「醍醐」 どこまでもさらりと透明な桜色。

                 美の巨人たち   引用

画の外にまでも桜色が広がっているかの様な「醍醐」 とても美しい色合いの美しさに感動しました。



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春静 東山魁夷

静寂の中、凛としたグリーンの山を背景に咲く山桜。バックと対照的な桜の可憐さに魅了されました。


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吉野  石田武

桜の花一つ一つまで繊細に描かれた作品、その緻密さに目を奪われました。桜に染まった吉野 一度は訪れてみたいと思います。

今回の展覧会には川合玉堂画伯の作品も数多く展示されていました。密やかに咲く桜の花もとても風情があって素敵でした。

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春庭  小茂田青樹

桜の花びらが敷き詰められた小道。桜の舞に酔いしれそうな風景です。


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春朝  横山大観

強い線で描かれた桜の木。歳を経た桜の逞しさを感じます。


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月・桜・柳のうち「桜」  西郷狐月

糸桜と呼ぶに相応しい繊細な枝ぶりの枝垂れ桜。とても美しく、見とれてしまいました。

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山桜に雀  川崎小虎

桜の木に休む二羽の雀。二羽とも目をつむっています、とても其の様子が可愛らしく何時までも観ていました。


美術館のお花見も良いものです。

心に響く作品が多く、図録を買って来ました。山種美術館では図録の販売はとても珍しく、作者の言葉、和歌も紹介されており、図録を見ては再度感動に浸っています。

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素晴らしい作品に感動した後は何時もの通り、一階のカフェ椿でお茶を頂きました。何時も楽しみなのは画をモチーフにした和菓子です。今回、いただいたのは「醍醐」 とても綺麗なお菓子です。形を崩してしまうのがもったいないと思いつつ口に運びます。

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とても心満たされた思いを抱きつつ美術館を後にしました。





http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html
























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2012年04月25日

ラッキーデイ

今日は娘がコーチのお財布を見たいと言う事で南町田のグランベリーモールに出掛けて来ました。

最初は娘の買い物にお付き合いと言う感覚でいましたが、なんと以前コーチのお店で見たお気に入りのバッグが50%オフになっているのを見つけて、テンションが上がりました。胸をワクワクさせてお気に入りのバッグを買いました。

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コーチらしくない牛革にお花の型押しのされたバッグ。エナメル製なのでこれからのシーズンに活躍しそうです。

グランベリーモールはペットのお店も多いですね。今日歩いていても沢山のワンちゃん達に出会いました。犬同伴可と言う所も魅力です。

今日は宝はお留守番でしたが、次には一緒に連れて行きたいと思います。





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2012年04月17日

SONGS 絢香

先週の土曜日にSONGS 絢香を観ました。

二年間の休みを終えいよいよ再始動する絢香さん。休み中の心境などのインタビューと供に新曲が歌われました。

みんな空の下
詞がとても素敵です。此の曲を聞くと歳とればとる程 心に強さを持ち、人にほっとする様な笑顔を向けられる人になりたいと思います。

そして、再スタートに向けての喜びがほとばしり出るかのような新曲。

はじまりのとき
Hello

が歌われます。リスタートへの意気込みが感じられる曲。

此の二年間フルサポートしてくれたと言うご主人への感謝の気持ちの感じられる。

The Beginning

リスタートへ向けた心の悦び、サポートしてくれた方への感謝の詰まった曲・・・どの曲も努力があったからこそ生まれた曲なのですね、キラキラと輝いています。

再スタート おめでとうございます。



先日、小さな寄せ植えをつくりました。

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ピンクの花がカーネーションの様な八重のペチュニア、白い花と銀の葉色の美しいプラチナ コンボルブルス。コンボルブルスは昼顔科らしく明るい時に花が開き、夜には閉じてしまいます。お水をあげる時、お花の咲いているのをみつけると「咲いている」と嬉しくなってしまいます。











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2012年04月13日

京都1200年の旅  古都を彩る桜伝説

その色は春の喜び、鮮やかに染められ色づいて行くいにしえの都。時を越え多くの人々を魅了してやまない京都の桜。この街に咲く桜は訪れる人を引き付ける理由、それは美しさだけではありません。例えば幾世紀を越えて今に伝わるある出来事に所縁のある桜。例えば歴史上のある人物も愛したと言う桜。例えば淡い色どりの影に人々のある思いがこめられた桜。古都の桜は美しさと供にさまざまな物語を秘めているのです。

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平安時代から続く桜の名所平野神社。

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花の盛りの季節を前に一足早く盛りを見せていたのが、早春に可愛らしい花をつける桃桜。平野神社の中で最も早く開花する種類の一つ、春の訪れを知らせてくれます。

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境内には沢山の桜の木々が。奈良時代、平城京で祀られていた神々が平安京への遷都と供に今の場所に移されたと言う由緒ある平野神社。目を惹くのがその本殿。尖った屋根を持つ四つの社殿、それが二つづつ繋がれ、左右対称に置かれた平野造りと呼ばれる独特なもの。

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京の街に花の季節を知らせる魁桜(さきがけざくら)。

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ここ平野神社は種類豊富な桜が咲く名所として知られています。盛りの時期に美しい花を咲かせて目を楽しませてくれるのは50種類、400本もの様々な桜達。その姿は多くの人々を魅了し続けます。この場所を桜の名所にした人物、それが平安時代の中頃、文学や芸術に優れた才能を持っていたと言う花山天皇。桜の儚い美しさを愛した花山天皇は境内に数千本の桜の木を植えたのだとか。その中には珍しい種類の桜も、平野妹背桜。妹背とは中の良い男女の事。一つの花より沿う様に二つも実を付ける桜。

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白雲桜、その名の通り青空に浮かぶ雲の様な白い花。薄紅色の蕾が満開になると真っ白に。

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さらに華やかな色と形があたかも蝶が飛んでいる様に見える胡蝶桜。

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白いおおきな花が可憐な芝山桜。

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下向に小さい花を咲かせる朱雀桜。

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この神社のほとんどの桜に共通するのが、お公家さん達が花見をする時には御座敷に座ってしたので、背の低い事。時代を越えて変わらない平安貴族達の桜への思い、華やかな春を満喫する姿が浮かんで来そうです。

目にも楽しい桜はこんな形でも味わえます。祝い事などに使われる開運桜、祈祷した桜の花びらを塩漬けにしたもの、お湯を注ぐとほのかに甘い香りが広がります。古の人々もこうしてゆるやかな春の時を過ごしたのでしょうか。

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平野神社には他にも桜に所縁の品々が、花の名所ならではのお守りやおみくじ。寄り添って二つの実を付ける平野の妹背桜をかたどったお守りは縁結びに。

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そして仄かな桜の香りが漂うお守り、好きな願いを書き持ち歩けばその願いが叶うとか。

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桜の花を抱え、おみくじを尻尾に挟んだ栗鼠も。
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桜を愛でる、日本古来の特別な楽しみに出会える場所。平安時代に貴族達の楽しみとして始まった桜の花見。その頃様々な歌に詠まれた花は桜だったのです。それは今に知られている百人一首の中にも残されています。

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高貴な人々の楽しみであった花見が様々な身分へと広がったのは江戸時代の半ばごろだと言われています。桜の下に集い花を愛でながらお酒や食事を楽しむ。それが今に続く花見の原形となったのです。

そんな当時の花見の名残を感じる事が出来るのが老舗のお麩の専門店。集めた様々なお弁当箱を展示しています。

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花見に用いられたと言うお弁当箱。表面にピンク色の桜の花が施された物。

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そして煌びやかな装飾で仕上げられて物。

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どちらも花見を楽しむ為に用意されたのです。さらに船の上に設けられた花見の席にちなんで作られたと言う、趣向を凝らしたユニークな物。

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様々なお弁当箱で花見を楽しんだ人々、その賑やかな様子が伝わって来ます。


歴史ある寺に残された桜にまつわる物語。古くから織物の街として知られる西陣。この地名は応仁の乱の時、西軍の陣地であった事に由来します。そんな此の地に立つ寺には珍しい桜があるとか。雨宝院、街の中に静かに佇む風情ある寺。平安時代に弘法大師によって創建されたと言う、歴史ある寺です。

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応仁の乱によって荒れ果てた此の地に再び建てられられた雨宝院、しかし江戸時代さらに火災にみまわれました。そんな悲しい歴史を二度と繰り返さない様に此のお堂は変わった造りになっているのです。厚い土壁と厳重な扉で守られたお堂。その奥には大切に仏たちが祭られているのです。此方に祭られているのが千手観世音菩薩立像(重要文化財)。

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平安時代に作られたほぼその儘の姿で残っている2メートルを越える大きな木造。ふっくらとした優しい顔立ちで見つめています。42本あったと言う手はその多くが失われ、今10本が残っているのみ。その手で人々の心を救い、その目で寺の歴史を見守り続けて来たのです。桜の季節、雨宝院の境内を華やかに彩るのは歓喜桜と呼ばれる八重桜。

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そして普段観る事の少ない珍しい桜が。御衣黄という名を持つ、こちらも八重桜の一つ。葉の様に見える部分は実は花弁。花が開いた後には淡い黄色となり、さらに紅色へと変化していくのだそう。訪れた人を驚かせる美しい桜。

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そして西陣には一つの人々を惹きつける桜があります。大報恩寺、通称千本釈迦堂。

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国宝となっているその本堂は鎌倉時代に建てられた物。度重なる戦火や火災を奇跡的に逃れ、京都市の中心部で最も古い木造の建築物だとか。

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柱に刻まれた生なましい傷跡その一つ一つが戦いの歴史を物語ります。この千本釈迦堂にあるのはそんな争いとは正反対の美しい物語がこめられた桜。長くその枝を伸ばす見事な枝垂れ桜。実は別の名前で呼ばれているのです。

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この本堂を建てたと言われるのが阿亀の夫、夫はその仕事中、四本の柱の内一本だけ誤って短く切ってしまいます。夫の重大な失敗を救おうと考えた阿亀は天井と柱を繋ぐ木材、ますぐみで短くなった柱を補う様に助言。その機転によって上手く切り抜けたものの阿亀は失敗が世に出る事を恐れ、自ら命を絶ってしまうのです。ますぐみを持って座る女性の象はそんな阿亀伝説を伝えるもの。

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本堂の前に咲く枝垂れ桜に阿亀の姿を重ね合わせる様になった人々はいっしかこの桜を阿亀桜と呼ぶ様になりました。阿亀夫婦の悲しい物語を今に伝える美しい桜、そんな千本釈迦堂には創建当時から歴史を伝える貴重な品々が数々収められています。応仁の乱を乗り越えた此の寺に残る時代を経てなお存在感を誇る仏像たち。真ん中に丸い穴の開いた一対の工芸品は太古の縁の部分のだ太鼓縁と言われる物。高さおよそ7メートル、細やかな装飾が施された室町時代の作品。

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そのだ太鼓縁に挟まれた一対の仏像が阿弥陀如来。

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そして釈迦如来。

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目じりや口元に知性が漂います。そして運慶と並び鎌倉時代を代表する仏師、快慶の手による木造十大弟子立像。釈迦に従う十人の弟子達を木彫りの像に表現したもの。

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さらに他にも命が宿っている様な仏像の数々。

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六観音立像(重要文化財)

此方は平安時代、学問の神様としてしられる菅原道真が自ら彫ったと言われる千手観音像(重要文化財)、古い梅の木を材料に作ったといわれます。

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そして京都で出会える美しい春に咲く桜だけではありません。桜をこよなく愛した人物として知られる豊臣秀吉、秀吉には桜に纏わるいくつかの物語が残されています。智積院。

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もともと此の地には秀吉が亡き息子を弔い建てた寺がありました。ここ智積院には秀吉がその息子を偲んで造らせた四季を通して楽しめる桜があるとか。空海生誕1200年を記念して昭和に再建された金堂。

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そこに祀られた本尊は密教に於いて宇宙と一体であるとされる大日如来。

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そんな秀吉所縁の桜がある場所へ。広い部屋を囲む絢爛豪華な障壁画。ここにある作品の多くは安土桃山時代に活躍した絵師長谷川等伯の一門によって描かれた物。此方が此の寺で四季を通して咲き誇る、その名も桜図。

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金箔をふんだんに使った背景に描かれた力強い桜の大木。その桜の花びら一枚一枚は絵具を盛り上げる手法で大胆に表現されています。長谷川等伯の息子久蔵の手によるダイナミックな作品。将来を期待した若き息子久蔵の突然の死、その後等伯が描いたのは亡き息子の桜図とは一対になる様な秋の風景の楓図。

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悲しみを乗り越えようとする力強さがこめられた等伯55才の作品。

そして桜図を当時のままに味わうもう一つの楽しみ方が。

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金箔の中に浮き上がる淡い色合いの桜は愛する息子を亡くした秀吉の心を癒したのかもしえません。

こちらも豊臣秀吉の時代に作られた庭園、池と石で変化をつけた山にも四季折々の植物が彩りを添えています。池に面する大書院はそんな庭の景色を眺める場所。見事な庭園と向かい合うのは煌びやかな障壁画、桜図、楓図。かっての大書院にこうして飾られていたと言います。秀吉が慈しんだ庭と供に楽しんだ煌びやかな桜と楓を再現。秀吉所縁の千利休の好みに設えられた庭園。石組と植え込みの配置が奥行きを感じさせます。季節によって違った色合いを持つ味わい深い庭。四季を通じて変わらぬ桜をそんな庭園の風景と供に楽しめる贅沢な空間。

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そして此方はかって方丈殿と呼ばれていた講堂。ここにも一年を通して咲く桜がありました。真っ白な襖に描かれた水墨画の桜。作者は現代を代表する日本画家、田淵俊夫さん。墨の濃淡のみで生き生きとした桜が表現されているのです。

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花弁の部分は何も書かれていない余白にも拘わらず美しい満開の花々が枝に折り重なって咲く様子が立体的に浮かび上がっています。此の水墨画に淡い桜色を感じさせるのは私達の記憶の中にハッキリと残る華やかな桜の風景なのでしょう。


そして豊臣秀吉の時代から歴史を越えて咲き続ける桜を。花の醍醐と言われる桜の名所、醍醐寺。

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秀吉の名に依り和歌山から移築されたと言う金堂。

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そこに祀られている本尊は人々を病から救ってくれると言う薬師如来。

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秀吉によって贅を尽くしもようされた醍醐の花見。宴の為に植えられた桜は700本。およそ1300人が集まった盛大な花見だったと伝えられています。

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江戸の世に庶民の文化として広がった花見は今の時代にももちろん欠かせない季節の楽しみ。境内が桜に彩られる醍醐寺には京都はもちろんいたる所から多くの人々が訪れます。ひときは存在感をあらわす醍醐の枝垂れ桜、やわらかく流れる枝に咲き乱れる花が人々を魅了する圧倒的な美しさ。

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そして豊臣秀吉が此処で花見をもようしたと言う証しも醍醐寺には残されています。醍醐の花見に訪れた人々が歌をしたためた短冊。

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秀吉直筆の短冊。

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境内の隅に立つ若い桜の木。八年前に植えられたその木は現代の科学技術によって受け継がれつつある秀吉の桜。伝説の醍醐の花見の光景が何時しか蘇るかもしれません。

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はかなく消えてしまうからこそ美しい、日本人に備わった感性。桜には私達の心を揺さぶるえも言われぬ魅力があるのです。そんな季節を彩る桜達の時代を越えた魅力を味わう事、それが私達が此処京都で1200年の旅をする理由なのです。






            知られざる物語 京都1200年の旅  引用

















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