2011年04月

2011年04月16日

ミニ寄せ植え 三点

桜の開花と供に温度は急上昇、今日は暑いですね。近所の公園の桜も風に吹かれて桜吹雪を舞わせていました。子供達が”雪 雪”とはしゃいでいました。桜はまた来年のお楽しみとなりますね。

玄関先の寄せ植えを三点制作しました。

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昨年の暮に植えたやぶこうじが新芽を出しています。今日、植え込んだのはブルーのお花のつる花しのぶとピンクの小花の可愛らしいクリーピングタイムです。ワイルドフラワーの雰囲気です。

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玄関の大きな寄せ植えの回りにミニ寄せ植えを作っているのですが、そちらの植え替えをしました。

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ピンクのブラキカム 初恋とベルフラワーを合わせました。

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もう一つはクリーピング タイムとラミウムを合わせました。

季節の花々が揃って行きます。

散歩の途中に毎年咲く花・・・今年も見事に咲き誇っています。

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もう直ぐ躑躅が咲き始めるのでしょうね。





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2011年04月15日

秀吉が愛した桜~”醍醐の花見”物語

京都、醍醐寺、境内の桜は一千本。中でも樹齢を重ねた枝垂れ桜の見事さは日本有数と言われています。春になると20万人が訪れる桜の名所、実はこの醍醐寺の桜はある歴史上の人物と縁があります。その人物とは豊臣秀吉。醍醐の花に魅せられた秀吉は今から400年前,贅をつくした宴、醍醐の花見をひらいたのです。招かれた客は1300人、衣装代は少なく見積もっても40億円。その豪華絢爛さは史上最大の宴と言われています。秀吉は一日の花見の為に700本の桜を各地から集めていました。DNA分析で探る醍醐寺の桜のルーツ、そこには秀吉と桜の心温まる物語がありました。私達が見ている桜は秀吉の見ていた桜の子孫とも言えましょう。

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醍醐寺の魅力を桜の見どころと一緒にご覧戴きましょう。

京都府、醍醐山の一帯に広がる醍醐寺、200万坪に及ぶ大伽藍です。今から2100年前、弘法大師の弟子聖宝が真言宗の道場を広めた事に依り始まりました。長い歴史を誇る醍醐寺には国宝40点、重要文化財6万点が残されています。国宝五重塔は平安時代に建てられ、京都で最も古い五重塔です。1994年に世界遺産に登録されています。

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醍醐寺は平安の古くから桜の名所として知られてきました。そして400年前の秀吉が開いた"醍醐の花見"がその名をいっそう高めました。その花見の舞台として語り継がれて来た醍醐寺、今も春になると一千本の桜が咲き誇ります。中でも見どころは三か所。

一つ目は寺の宝物を収める霊宝館、ふだんひっそりとした此の庭も春になると豪華絢爛な桜がその美しさを競います。

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一番手前にあるのが樹齢150年の枝垂れ桜。

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その奥は樹齢100年のそめいよしの。

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桜のカーテンをくぐると醍醐寺で最も古く、大きな枝垂れ桜が現れます。樹齢200年ながら、淡いピンク色の花を付ける此の桜、秀吉が醍醐の花見で愛でた桜の子孫とされるものです。

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二つ目は五重塔の前、ここにある樹齢100年の枝垂れ桜です。秀吉は花見の直前に戦乱で傷んでいた五重塔の修復を命じ、一カ月程でその美しさを取り戻しました。今も秀吉の時代と変わらない風景を私達に伝えてくれています。

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三つ目の見どころは醍醐寺の最大の塔頭、三方院の玄関前です。
樹齢150年の枝垂れ桜、こちらも醍醐の花見以来寺が受け継いできました。
その美しさに心を奪われたのが日本を代表する画家、奥村土牛です、土牛は醍醐寺に通い一枚の画を描きあげました。代表作「醍醐」です。揺るぎを見せないどっしりとした幹、透き通る様な淡い桜が咲いています。いつしか此の桜は「土牛の桜」と呼ばれる様になりました。

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醍醐の花見から400年。醍醐寺は多くの人に愛される桜の名所となっています。
本当に美しい桜達。一度は見に行ってみたいと思います。


”醍醐の花見”物語

その花見の様子を伝える屏風があり、当時の日記などが数々残されており秀吉の開いた花見の桁外れの凄さがえがかれています。

花見を描いた屏風は千葉県佐倉市国立歴史民族博物館の保管されています。桃山時代に描かれたとされる屏風、重要文化財、醍醐花見図屏風、醍醐の花見の様子を詳細に伝える唯一の絵画資料です。

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満開の桜の包まれた醍醐寺で秀吉一行が桜見を楽しむ様子が描かれています。秀吉はその時62歳、派手な衣装を着て顔に頬笑みがこぼれています。

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屏風の右下に描かれている一人の僧侶、当時の寺のトップだった義演です。秀吉の親族の法要を取り仕切り、秀吉家とは深い関わりを持っていました。

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此の義演の案内で屏風の中を旅してみましょう。

醍醐寺の花見の当日、秀吉は1300人のお伴を引き連れておこしになりました。お花見は変わった趣向で開かれていました。1300人のお伴は皆女性ばかりでした、北政所を始めお世話になっている女性達に日頃の感謝を伝えたかったのかもしれません。何をするにも大掛かりな秀吉は、煌びやかな着物を用意しました。一人につき三着、なんと合計3900着も新調したのです。摺箔の着物、かのこの着物。秀吉の用意した摺箔とかのこ、いったいどの様な着物なのでしょうか。

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生地に漆などで模様を描き、その上から金箔を貼る技法。

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かのこは手間のかかる繊細な絞り染め。細かい模様を表現する為に生地を数ミリ単位でしぼる気の遠くなるような技法。着物一着に必要なむすび目は数万近く、あまりの贅沢さに江戸時代には度々禁制になった技法です。

贅をつくした着物の数は仮に一着100万円としてもその総額は39億円、醍醐の花見は豪華絢爛なファッションショーでもあったのです。

なによりも見事だったのが桜、各地から桜を集める事を命じてわずか10日間で700本の桜が集まったそうです。

3900着もの着物に700本の桜、想像を絶する醍醐の花見は評判になり、後世の人々の目にふれる事になりました。

秀吉の花見が実際にどの様なものであったのか、資料が残されています。「太閤様軍記のうち」は長年秀吉につかえた武士が記した物です。詳細にその日の花見の様子が記録されたいます。

慶長3年3月15日、現在の暦の4月半ばの晴れた朝、秀吉一行は徒歩で三宝院を出発しました。おねや淀などの女性達はこの日の為に用意された着物で着飾っています、境内では此の日の為に集められた桜が満開、五重塔も桜に包まれています。

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この日、秀吉は参加者を楽しませようとして花見ルート沿いに八つの茶屋を作らせました。

第二の茶屋、急ごしらえで作った池には鮒や鯉が泳いでいます、記録に依るとここに面白い異風体が用意されていたとあります。一説には部下達が漁師の恰好をしていたと言う見解があります。

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東京大学史料編纂所、准教授 田中博美氏の見解によると、お付きの人達は庶民の日常を知らないのでその世界を見せる、その事自体がご馳走だったのではないかと述べています。

八つの茶屋は秀吉の部下8人がそれぞれにプロデュースしました、部下達は思い思いの趣向をこらしています。

第三の茶屋では勇ましい馬や鷹の絵が描かれ、ゆっくりとお茶を楽しんだという事です。

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第六の茶屋では豪華な食事が振舞われました。器は贅沢な漆塗りや金箔をはったもの、当時は鶴や白鳥のスープが高級とされていたそうです。諸国の大名からも沢山の名産品が届けられました。

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醍醐寺にはこの花見に使われたと言う”金天目”が残されています。400年を経た今も輝き続ける黄金の”天目茶碗”、華やかな宴を今に伝えています。

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第八の茶屋では当時有名だった鞍馬名物”ふごおろし”を再現するなど色々な出し物が用意されていました。今でいうカフェ、当時庶民の間ではお茶を飲みながらお話出来る此の様な店が大ブームでした。

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此の様にして史上最大の花見は幕を閉じたのです。

400年前の花見のルートも分かっています。醍醐寺の研究員、東京大学教授、日本建築士 藤井恵介氏と一緒に歩いてみました。

三宝院を出発した秀吉は第一の茶屋のあった五重塔付近で桜を愛でました。桜を植えた道幅わずか3mの山道を登ります、15分程山を登ると第八の茶屋のあった”やり山”の到着します。ここが花見のゴールなのです。此処で大宴会を行ったそうです。何故秀吉は此の場所を選んだのか。いまは鬱蒼とした木々に囲まれていますが、花見当日はまったく違った景色が見えたと言います。

此の日の為に秀吉の見せたかった景色とは。此の日の為に植えられた無数の桜、夕焼けが美しく空を染めています。見渡すとこの日、歩いてきた道のりが桜色に浮かびあがっています。桜に包まれた五重塔、寺の境内にも桜の花びらが舞い、その後ろに秀吉の手に入れた広大な土地が広がります。一代で太閤に迄登り詰めた秀吉が見せたかったのは無数の桜に祝福された豊臣家の未来だったのかもしれません。花見であると同時に国見の意味を持っていたのです。秀吉は花見に際して8回下見をし、その内5回は”やい山”に登ったそうです。

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花見の為に10日間で集められた700本の桜は何処から、どの様な桜が集められたのでしょうか。

その事は醍醐寺のトップの義演の日記に残されていました。近江、河内、大和、山城各地より桜の木を集めたそうです。醍醐寺の受け継いで来た桜の木の故郷を探る為に樹齢200年以上の枝垂れ桜を調査しました、DNAを調べる為に葉を採取しました。

醍醐寺の桜と遺伝子的に近い桜を持つ奈良、東吉野村にある宝蔵寺、樹齢430年の枝垂れ桜があります。醍醐の花見より以前に存在した桜です。

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桜を運んだ手段も分かってきました。宝蔵寺より陸路を運搬し名張川を用いて川で木津まで運び、木津より陸路で醍醐寺まで運ぶと言う方法です。

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もう一つ近い桜は滋賀、薬樹院の枝垂れ桜、樹齢200年と言う事で醍醐の花見より後の物とされます。

此のお寺は秀吉と深い関わりがある事が分かります、400年前住職の施薬院全宗は秀吉の主治医でした。秀吉ゆかりのもの、食事道具一式が残されていました。

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天皇家所縁の紋、菊と桐は秀吉が好んだデザインと言われています。

薬院の家族が醍醐の花見に参加していた事も分かっています。手掛かりとなったのが重要文化財 醍醐花見短籍です。花見で参加者が詠んだ歌が残されています。短籍の中には薬院の家族の名前も残されています。1300人のうち歌が残されているのは特に大切にされた人で、およそ80人です。晩年、病気がちだった秀吉の薬院に対する感謝の大きさが分かります。

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毎年美しい花を咲かせる薬樹院の桜は太閤桜の呼ばれ親しまれています。

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醍醐寺より薬樹院に贈られて桜かもしれません。

大阪城天守閣 研究副主幹 北川央氏に依ると秀吉の不安な心境が花見の屏風に見えると言います。

花見をしている秀吉の左下に武士が厳しい警護の目を光らせている。又、簡単には入れない様に柵が設けられています。

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当時の記録に依れば醍醐寺の周囲5キロ四方に23ヵ所もの警備所が設けられ、弓、槍、鉄砲で武装した武士達が一般の人達が入らない様に見張っていました。貧しい農家から天下人に上り詰めた秀吉、庶民的な人物として知られていました。しかしその秀吉像とはかけ離れた警備体制です。

此の時期、秀吉は朝鮮に兵を送っていました、しかし戦況は悪化し、此の侵略的な行為を続ける為に庶民に重い負担を強いました。これまで年貢の対応でなかった裏作の麦を年貢の対象にしました。更に京都や大阪などの町でさまざまな売り物に対して20%課税を強行しました。記録には庶民が迷惑したと書かれ、豊臣政権に対する反発がうかがえます。
北川氏は不満を抱えた庶民の反発を恐れて厳重な警備をしているのではないかと考えています。

秀吉のもう一つの大きな不安、それは自分自身の老いです。秀吉は当時62歳、花見の3年程前より病気がちになり、生死の境を彷徨う事も度々ありました。多聞院日記には秀頼の母と徳川家康、二人の祝言が行われる予定であり、それは太閤の遺言に依るものであったと記されています。秀頼の母とは側室の淀殿、秀吉は自分の死後、一番のライバルである徳川家康に妻を嫁がせようとしたのです、死の直前、秀吉が家康ら5人の大名に残した言葉です。
「かえすがえす秀頼のことをお頼み申します
5人の皆様衆お頼み申します」

秀頼の将来を案じながら花見から5ヵ月後、秀吉は息をひきとります。しかし家康と淀殿の結婚は破談となり、花見から17年後、家康に攻められ秀頼と淀殿は自害し、豊臣家は滅亡します。

虚しいものですね。
高みを望むより、自分の心が何時でも平安でいられる生き方をしたいものですね。

その様な悲しい歴史を持つ醍醐寺の桜、毎年変わらずに花を咲かせている事を思うと自然の偉大さを感じます。



           秀吉が愛したさくら~"醍醐の花見”物語  引用






















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2011年04月14日

プチお花見

昨日は友人とプチお花見を楽しんで来ました。

車で通る桜のトンネルはとても綺麗でした。歩いて見る桜とまた趣きが違いますね。

ドライブの後はアフタヌーン ティーのテラスで桜を眺めながらお茶をいただきました。

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カモミールアップルと一緒にいただいたのが”黒糖と抹茶のロールケーキ”お抹茶の渋みと黒糖独特の甘みの織りなすハーモニー、とても美味しかったですよ。桜を見ると和的なテーストが欲しくなりますね。

お話に花が咲きプチお花見を楽しみました。


今日、近所の公園の桜は桜吹雪となっていました。日ごと桜はその表情を変えて行きます。

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花弁の絨毯が美しい今日の桜。雪の様にフワフワと散りゆく姿もとても美しいですね。

散歩の途中、枝垂れ桜を見つけました。

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そめいよしのとは違う可愛らしい形の花をつけていました。

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欅の新緑も美しく、シーズンが早く進んでいるのが分かります。

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道端に大好きなスミレを見つけました。




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2011年04月12日

ブラキカム 恋心 とペチュニア サマーパープルのハンギング

桜もそろそろ花吹雪となってきましたね。花吹雪の桜もとても綺麗で好きです。

風が冷たく感じる今日でしたがはな*いとし*こいしさんでハンギングを作ってきました。

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ピンク色の花がプラキカム 恋心、名前の通り此の花に恋してしまった様です。華奢な茎に咲く風に靡きそうなピンクの花はとても可憐です。パープルの花がペチュニア サマーパープル、此方は落ち着いたレディの香りを放ちます。その合間にピンクの小花を付けたクリーピング タイム、うずらば たんぽぽを植え込んであります。タイムがもっと咲き誇るとハンギングが一段と違ってくるでしょうね。うずらば たんぽぽも黄色いお花をつけるとか楽しみです。

此のハンギング左右がまったく違ったイメージに仕上がっています。

左側は可憐に。

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右側はシックに。

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恋心の甘さを抑えて、全体的にシックな仕上がりになっています。

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恋焦がれた(笑い)  プリキカム 恋心

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シックなペチュニア サマーパープルとクリーピング タイム


これから長く楽しめそうなハンギングとなりました。


今は木の芽時、どのお花も一日でその姿を変えてしまいます。先日、ハンギングに植えたサフィニアも随分と大きくなりました。





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2011年04月10日

再生の桜

今日ははな*いとし*こいしさんがギャラリー秀さんでOne Day Shop を開催される日、伺って来ました。用意された花苗はどの花も素敵!!火曜日にハンギングを制作する事を約束し、One Day Shop を後にしました。

場所が鷺沼とたまプラーザの中間点にありましたので、その後、桜見物をしながらプラーザに向かいました。宝と一緒の散歩でしたが多くのワンちゃんに出会いました。

正に桜のトンネル。ピンク色の精に心癒される一時を過ごしました。

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足元には黄色いタンポポが咲き、ピンクと黄色のコントラストが綺麗です。

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桜の”さ”は農耕の神様を表し。”くら”はいます所を表します。
冬に山に戻ってしまった神様が春に山より戻ってらっしゃる事を意味します。花見は私達が楽しむと言う事よりも山より戻ってらした神様をもてなす意味を持ったものだそうです。

春になると自然界はもとより私達人間も新しい門出にたつ事が多いですよね。春の勢いにのって自然界も私達も実り多い日々を過ごせると良いですね。

震災で苦しんでらっしゃる東北の方々にも輝く春が訪れます様に。




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